感情のアスリートとしての「驚き男」

葬式のとき親族に代わって盛大に泣きじゃくる「泣き女」という職業が世界各地にあったように、Apple 製品に関してはインターネット各地に「驚き男」みたいな役割を自任しているようなひとたちが居り、発表時期には彼らが盛大に驚いたり分析&展望芸を披露しはじめるので、まともな材料とまともじゃない材料の区別がつけづらい闇鍋状態に近付く。

驚き男!

実に素晴しいネーミングだと思うけど、初出はここでいいのかな。

id:matakimikaさんは、批判と揶揄のニュアンスで使っていると思うけど、「驚き男」っていう役割はすごく重要な意味があると私は考える。

喜怒哀楽+驚の感情の稼動域が大きいってことは大事なことだ。中途半端では役に立たないけど、心から驚けるのは素晴しい。感情が本当に自由にダイナミックに動く人の感情を見ることは、イチローのレイザービームのような、ダイナミックに動く身体によるパフォーマンスを見てるのと同じ爽快感がある。

「驚き男」たちの生きている世界は、我々の住んでいる世界とは別の世界なのかもしれないけど、それは彼らにとってはリアルなものであり、望めばそこに参加することもできる。

冷静に、どちらの世界に住むのが得かよく考えればいいと思う。感情的に「驚き男」を拒否するのは損だ。

まずは「驚き男」たちの驚く感情を、「うわー、すごいな、俺にはあそこまで驚けないよー」と驚嘆しつつ鑑賞して楽しめばいいのだ。


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