奇襲戦法の背後には理論の緻密化がある

これはすごく重要なことが書いてあるエントリだと思うけど、一つだけ残念なのは、単なる夢物語か理想論のように読めるような書き方をしていることだ。

ダシにして申し訳ないが、典型的なLisperからみたかつてのid:higeponや、現在のid:amachangの「知力」は高いとはとても言えない。例えば遅延評価のことは、SICPを読めばちゃんと書いてある。そしてこれはまともなComputer Scienceがある大学なら、一番最初に使う教科書の一つなのだ。「まとも」に教育を受けた人なら、「遅延評価童貞が許されるのは、小学生までだよねー」とか言うかもしれない。

それは、この部分の「ありえなさ」がコンピュータサイエンスを勉強してない人には伝わらないからだ。

id:amachangという人は、本当に不思議な勉強の仕方をしている。彼がプログラミングについてブログで書いている内容は高度すぎて、私にはついていけない所もあるのだけど、単なる特異な才能として片付けられないことは何となくわかる。

単純に言えば、短期間ですごく高度なレベルに到達したということだけど、そこに至る順番が滅茶苦茶というかなんというか。

そこがわからないと、上記のエントリの意味が伝わらないと思う。

そこで、一つの喩え話を思いついた。

将棋の「藤井システム」という戦法がある。

この戦法は、表面的に見ると奇襲戦法だ。この説明の第5図を見ると、振り飛車の癖に居玉のまま玉側の桂が飛び出して攻めこんでいる。あらゆるセオリーに反したことをやっている。セオリーに反していることが強みである。

物理学者が手品師に騙されて超能力を信じこんでいるようなものである。あるいは、経済学者が詐欺師に有り金全部取られた格好。

普通は奇襲というのは騙しうちなので一回しか通じない。相手がそれに応じた対策を取れば、逆にボロ負けするものだ。

ところが、藤井システムは、一方で定跡研究の最先端でもある。相手が奇襲を避けると、きちんとセオリーにのっとり、過去の定跡を踏まえた上でその上のレベルの対応をする。

詐欺師かと思っていたその男には、実はすごい学識があって、金を取りもどしに行った所でアカデミックな議論をしかけられ、もう一回負けてしまったようなものだ。

手品師のように、理論でなく手先の器用さでプログラムを早く書く人はいるし、そういうのが天才レベルという例もある。id:amachangもそういう面を持っているようにも見えるが、一方で、もし何らかの切羽つまった事情でその必要性があれば三日で学者に化けることもできそうな気がする。

彼がブログに書いている勉強の内容を見ているとなんとなくそういう気がするのだ。

僕は目的を分割して必要な部分だけ飛び飛びに学んでいる。 ジグゾーパズルを作るみたいな感じ。

本人はあっさりとこんなふうに言っているけど、ここにはすごく重要なことが隠れていると思う。

ここまで考えて、どう続けようか悩んでいる時に、たまたま梅田さんが将棋のことをブログに書いていた。しかも

あとで指せる手はあとまわしにしましょう、という考え方

が、情報戦の側面を見せる現代将棋の根本原理だと言う。「藤井システム」もその流れの中にある。

一見順番を無視しているようだけど、必要な所から飛び飛びに勉強するというid:amachangの話にもつながる。

そう言えば、2ちゃんねるもそうだ。単なる奇襲戦法のように見えるが、ビジネスとしてあるいは政治としてあるいは社会システム論として、あれを正攻法でつぶすことは容易ではない。気がついた時には、金も権力も正統性もひろゆきのものになっているのではないか。

「高速道路」という言葉が、梅田思想の中でひとつのブレークスルーになったことも、その分野では観客でしかない羽生さんが、本業の人には思いもよらない方向から奇襲をしかけてたまたま成功したと見るべきではないのだろう。

羽生さんは観客ではなく主役の一人であり、日々、切実に実感していることをうまく(やはりうまく言ったものだとは思うけど)一言で言っただけなのだ。

情報の拡散がある閾値を超えた時に、過去のセオリーや学問が緻密に研究され尽くして奇襲戦法のように見える何かが生まれる。

それは、

あとで指せる手はあとまわしにしましょう、という考え方

から必然的に論理的に導き出された解なのだ。