ひきこもり支援とWEBデザインの脱カテゴリー指向について

全く違う分野に関するこの二つのエントリですが、次のようにとらえると、不思議な共通点があるように思いました。

ひきこもり問題 WEBデザイン問題
A 精神医学業界 広告業界(紙媒体でのデザイン、メディアとしてのWEB)
B 福祉業界(+就労支援) IT業界(ソフトウエア、ツールとしてのWEB)
C ひきこもり支援業界 WEBデザイン業界

共通認識として、次のようなことが言えます。

  • A業界,B業界と比較して、C業界は(歴史が浅いこともあって)、専門職、専門知識が確立しておらず、業務が体系化されていない
  • C業界においては、Aの知識とBの知識が両方必要なので、より問題が複雑になる
  • 現在、C業界には混乱が見られ問題となっている

それで意見が分かれるのは、A+B=C となるか、つまり、A業界、B業界で既に確立している方法論の延長線上に、C業界の解決策があるかどうかという点です。

隣接するA,B業界からの視点では

  • 我々の世界において実績のあるノウハウが、C業界においては十分活用されていないのではないか?
  • 新しい専門知識が必要であることは認めるが、体系化の方法論自体は我々の行なったことを転用可能である
  • 必要な職種を定義し、それぞれの専門家が自分の役割を分担しつつ協力できるような方向に進むべき

ところが、C業界プロパーの視点から見ると、この観点では不十分だと言うことで

  • C業界の問題に取り組むには、A,B業界と全く違う視点が必要である
  • A,B業界の体系化の方法論には「ミクロな政治性」が含まれていて、A,B業界の人がそこに無自覚であることが問題
  • A,B業界の方法論で解決できる分野もあるが、「専門家が単に自分を道具として提示するだけでは扱えない事情が問題になっている」
  • C業界の中核的な問題には、本質的に分解不可能な部分があり、「こんなことを同時に考えなくてはいけない仕事は、今までに無かったのでは?!」

F's Garageさんは、次のような成功例をあげています。

今年行われたAdobeのMAXというイベントで楽天の方が、売れているけどデザインは優れていないショップの事例を出した。そこにあるのは、「すぐれたデザイン」ではなく、「すぐれたコミュニケーション」だ。

売れているショップさんは、すぐれたコミュニケーションデザインを行うことで、お金儲けに繋げている。つまり、Web制作においても、「構造、デザイン、コンテンツ」を通じて、すぐれた「コミュニケーションデザイン」を提供できる人が求めらる。

この事例のポイントは、A業界、B業界の価値観からは失敗例だけど、C業界の観点では成功例であるということだと思います。

ただし、いかなる意味でも、これをC業界の典型的な成功例として、この事例を模範とすることで定型的な成功パターンとして類型化することはできません。何故なら、「コミュニケーション」というものには、クライアントの主体的な関与が欠かせないからです。

また、この例をもって、A業界、B業界に蓄積されたノウハウが、どういう場合でもC業界では全く役に立たないと言うこともできません。むしろ、(別のエントリから表現を借りますが)「CSRのPRなどの場、人材募集などの、いわゆるコーポレートサイトとしてWeb」のように、制約や枠組みがきっちりしている領域であれば、A業界からC業界に進出できる分野はたくさんあります。単純なツールとしてのECサイトの構築ならば、B業界からの進出も可能だし、セキュリティ等、B業界ならではのノウハウはむしろ必須です。

問題なのは、C業界独自の価値観から生まれる成功例に必須の、「コミュニケーション」と「クライアントの主体的関与」という部分が、A業界、B業界の専門家の寄って立つ基盤と、かなり深いレベルで葛藤を起こしているということです。

A業界の専門家は美的な「デザイン」以外の問題を視界に入れようとしないので、彼にとって「コミュニケーションデザイン」という問題は存在しないのです。彼は、C業界に参入する為に新しい知識が必要であることは認めますが、それを、紙でなくディスプレイ上での色の使い方とか、CSSの書き方のような、「デザイン」の枠組みの中で認識できる問題に限定してしまいます。

そういう人でも専門家であることは間違いないので、彼が自分の枠組みに無自覚であると、彼の前に立ったクライアントは、遠慮してしまって「コミュニケーションデザイン」のレベルの話をすることはできません。

そこを無理に押し通そうとすると、A業界の人は「これは自分の担当ではないと」と言い、代わりにB業界の専門家が出てきて、プログラムの仕様の話をする。

A,B両業界の専門家に圧倒されて、クライアントが自分の問題の核心をうまく言語化できない状況が「ミクロの政治性」ということではないかと思います。

WEBデザインの話としては、隣接するB業界の人間として、私はF's Garageさんの問題提起に共感するし、ある程度の経験を元に「それは正しい」と言い切ることもできます。

これを上記の対応表によって、ひきこもりの話に起きかえたらどうなのか?

「専門家」として自分を提示することは、ひきこもりで問題になる再帰性や主体の実体化(参照)を、支援者自身が既存の専門性へのベタな順応で乗り切ることであり、主体の構成が、ベタな専門性フレームに限定されてしまいます。それはご自分が、決まったフレームにおける「社会的に有用な道具」になることですが、その方針(ディシプリン)で対応できない事情や存在は、ルーチンの外に位置してしまい、黙殺されてしまう。――ひきこもりにおいては、専門家が単に自分を道具として提示するだけでは扱えない事情が問題になっている、というのが私の立場です。

「それを問題にしている自分自身」が、その受容の態度において分析されないまま肯定されており、「ひきこもりを対象化する制度的目線」については、対象化=論点化されていない。目線を体現する自分の位置づけを、分析的に検討する知的作業がまったくない。その拒絶の方針自体が、ひきこもりに不都合な環境を作る。

C業界のクライアントの中には単なるサービスの消費者として救われることはできず、彼ら自身が主体性を獲得することが必須となっている人がいるということでしょうか。

そして、A,B業界の専門家がその主体性を支えるという態度に立てば、いくらでもその専門知識が生かされる場面が生じてくるけど、既定のカタログの中から必要なサービスを選ばせるというような方向では、いくらカタログを改訂していっても意味がないと。

中小企業にとってのWEBは、資本や系列に縛られた従来のビジネスの枠組みから飛び出していく為のツールであるから意味があるわけです。それを支援するということは、デザイナーであれプログラマーであれ、自分の専門家としての立場を突き崩す動きの一部になるということです。

ひきこもりという問題にそのような性質があるのかどうか、あるとしたらそれは具体的には何なのか、それはよくわかりませんが、このように関連づけて読むと、難解なid:ueyamakzkさんの文章が、けっこうスラスラ読めてしまうことは確かです。

これは、WEBデザインやひきこもり支援のような特定の業界に閉じた話ではなくて、「あらゆる専門知識が内部に微妙な政治性を持っていて、背後にある制度と不可分の関係にある。全ての専門家は、そのような自分の足元を常時掘り起こすことを求められていて、それをしないと自分たちが蓄積してきた能力を発揮できなくなっている」ということかもしれません。