新しい職業の一例として「困り屋」とか

「好きを貫く」という表現は、ちょっと攻撃的すぎるのかもしれない。

たとえば、すごく居心地のいい飲み屋のおかみさんみたいなパターン、好みのツマミが黙っていても出て来るし、内輪で盛り上っている時は割り込んでこないけど話が途切れたり義理で仕方なく連れてきた連れがいる時とかは話に加わって場を盛り上げてくれるし、かと言って常連にならなくてもそれなりに居心地よく長居できるような店。

つまり、才能なり興味なりが自分から発信する形ではなくて、その場にいる誰かの発したものを受け止めることから始まるようなタイプ。

そういう人に「あなたの『好き』は何ですか?」と聞いても、たぶん答えられないだろう。でも、そういう人が「好きを貫く」に関係ないかと言うとそんなことはない。

これまでは、店を一軒経営するだけの最低限の経営能力を合わせ持ってないと「居心地のいい場を作る」という才能を発揮できなかった。

でも、これからはそういう余分な才能が無くても、純粋に「居心地のいい場を作る」という能力だけで勝負できる。SNSソーシャルブックマークのようなコミュニティを作るWEBサイトにおいては、ユーザの隠れたニーズに反応して、そこを居心地よくする細かい改善を行なったり、ユーザの世話をしていくような職業は成立するだろう。

これは、「好きを貫く」という言葉で思い浮かぶようなタイプの才能とは別の才能だ。みなさんのあこがれの的となっているアルファブロガーやスーパーハッカーが、もし飲み屋の主人やおかみさんだったら、その店で飲みたいだろうか?話は面白いかもしれないけど、仕事で疲れた時に、何げなく足が向かう店になるとは思えない。「居心地のいい場」にはまったく逆のタイプが必要だ。

WEBが生活の中に浸透して来るにつれて、また双方向の対話の要素が多くなるにつれて、そういう才能のニーズは高まっていくだろう。

でもこれを「接客能力」と総括してしまうと、まだアグレッシブすぎる。

もっと特殊化して「困り屋」「悩み屋」なんて職業も考えられる。

つまり、コミュニティサイトにおいて、どうしても操作がわからない人とかやたらに優柔不断な人がいたら、たぶんその方がサイトは盛り上がるだろう。

これを仕込みでやるとバレた時に炎上するので、本当に困ってしまう人、素で悩んでしまう人を運営側が雇って投入する。

「間違って登録したけど消せなくなりました」とか「このオプションでどれを選んだらいいでしょうか」とか、素で悩むのが彼らの仕事だ。本当に困っていれば助けたくなるの人情で、回りの者はその人を支援しようとして、知らないうちにそのサイトの機能を全部覚えてしまったり居着いてしまうというわけ。

むろん、どんなにHELPが親切でわかりやすいUIでガイダンスが適切でも、間違いなく困ってくれないとプロの「困り屋」にはなれない。また、その困り方に愛嬌があって、誰でもついつい教えたくなるようでないとだめだ。

他にもいろいろなパターンがあると思うが、そういう受け身の「触媒」的な才能を持っている人も、ネットによって活躍できる場が広がっていくだろう。

つまり、「才能」という言葉の指す範囲がネットによって広がるのだ。以前は「才能」とはほとんど学力のことだったが、今では、学力だけでなくさまざまな頭の良さが才能に含まれている。これからは、頭の悪さも才能になる。頭の良さの種類も増えているが、頭の悪さの方向性もどんどん広がって行く。それぞれの場にそこだけの座標軸がある。

ただ、それぞれの場における独自の座標軸による選別や競争は厳しくなる。これからは、自分の発揮する才能に内発的な動機が無いと勝負にならない。

昔は、学問がさほど好きでもない人でも学者になれた。でも、これからは、内発的な動機無しに学問をしても追いつかない。

学問が一切できなくてもプログラムが書ければ食っていける。でも、内発的な動機でプログラムを書かないと食っていけない。

頭が良くなくても接客が得意なら食っていける。でも、内発的な動機で接客をしないと食っていけない。

接客がだめでも優柔不断な人は「困り屋」的な何かで食っていけるかもしれないけど、そういう可能性が開けるとしたら、内発的な優柔不断さだけだろう。

自分が内発的な動機で行なえることは何かを見つけることが重要であるが、それは必ずしもアグレッシブである必要はないし、現状、さほど評価されてないことでもかまわない。弱点をプラスに変える方法を自分で発見する必要もない。

「困り屋」という潜在的なニーズを実体化するのは、「困り屋」とは対極的なアグレッシブな才能を持つ人だ。そういう天才は地球上のどこかにいて、その人とあなたはWEBでつながっている。あなたはただ、自分の出番を待っていればいいのだ。

ただ、自分が呼ばれた時に反応できるくらいには、自分の中にあるものに対する感覚を研ぎ澄ませておく必要はあると思う。それだけが必須項目なのだ。