電気代変動相場制

残業代を払えない経営者は無能であるで、はてなブックマーク数が初めて200を超えたと思ったら、働かなくても食っていける社会がもうすぐやってくるよでは、さらにブクマ数300を突破してしまった。

とてもありがたいことではあるが、腑に落ちない所もある。

長年ブログを書いているけど、何が受けるのかは今だによくわからない。たとえば、2003年に前のブログでところでいったいGoogleは何人月?というエントリを書いていて(元ネタはCNET Japan Blog - 梅田望夫・英語で読むITトレンド:天才社員が支えるGoogleのマネジメント手法)、これなんか上記二つのエントリを似たようなことを書いていて、むしろポイントがコンパクトにまとまっているような気がするが、こんなに大きな反応は無かった。

ともかく、これらの記事の対する言及を、私のはてなブックマーク「しごと」というタグをつけて集めているので、興味がある方は参照されたい。賛否両論ともに、たくさんの人がさまざまな観点から考察されているので、全部順番に読んでいくと元ネタより面白いのではないかと思う。

いただいたたくさんのご意見については、少し時間をかけてじっくり考えていきたいが、とりあえず「エネルギーや資源は情報とは性質が違う」という反論について、コメントしてみたい。

確かに、エネルギーや資源は情報とは違うが、情報のように扱うことはできる。たとえば、電気代を変動相場制にして、1分1秒単位で、需給に応じて値段が変化するようにすればいい。

夏場の甲子園の決勝の日が電気代のピークだと言うが、そういう日は電気代が極端に高くなるので、電気をたくさん使うような工場は休みになる。休んだ分は、春と秋の世の中が電気を使わない時期に余分に操業して取り戻す。

そういう長期的な計画は序の口で、毎日毎日の細かい価格の動きに合わせて、どの会社も微妙に業務を調整する。11:50頃に電気代が高かったら、早めにチャイムを鳴らして、10分早く昼休みにする。16:00頃に当日夜の電気代を予測して、その日の残業の時給を上げたり下げたりする。ネットでサービスを提供する業者は、電気代に合わせて稼働するサーバの台数を調整する。電気代が高い時間には、ふだん無料のサービスを一時的に有料にしたりして、ユーザ数を減らそうとする。

社会全体がそういうことを小まめにやっていけば、電力の需要はかなり平準化して、発電所の数をかなり減らせるはずである。

しかし、その代わりに、非常にせせこましくて落ち着かない世の中になる。何しろ、昼休みが何時になるかもわからない。朝起きて会社に行ったらいいのか寝てていいのかわからない。休みに旅行に行こうとしても、今年の夏休みがあるのかないのか秋休みになるのか春休みになるのか、全てが電気代次第だ。

だが、この問題は情報システムで解決できる。

自分のスケジュールをプライベートな分も含めて全て会社のサーバに登録するのだ。「何月何日は家内の誕生日なのでこの日に操業してもらっては困る」「今日は気分が乗らないので、どれだけ奨励されても残業はしないよ」「旅行の予約をしたので、休みが変わるのであれば会社にキャンセル料を負担してもらいたい」そういう、自分のスケジュールに関する要求を、全て会社のサーバに入れておく。

そうすると、会社のサーバは、単純に電気代のみで操業日を決めるのではなくて、社員の満足度や操業スケジュール変更のコストを計算に入れて、あまり社員に不満が出ないように業務に支障が無いようにして、その範囲で電気代に応じて、会社のスケジュールを調整する。

もちろん全員の要求を全てかなえることはできないが、運悪く犠牲になって、奥さんの誕生日に残業して怒られるハメになった社員は、それを補償する手当なり、次のスケジュールの決定において優先的に都合してもらえる権利なりを得る。

こういうダイナミックなスケジュールの変更は、全て、個人のPDAと連動しており、たとえばデートが電気代の為にキャンセルになるとしたら、会社のサーバから個人のPDAに、デートに行けなくなった通知があり、それを受けたPDAは恋人のPDAと連動して、相手のスケジュールをキャンセルする。するとその相手のPDAは、勤務先に「この日はデートなので残業できません」と登録してあったのを取り消し、その会社全体のスケジュール決定システムにおける、その日の残業のコストが変化する。

あるいは、10月頭の日曜日、運動会があちこちで行なわれる日には、その日に強硬なスケジュールを入れる人が多くなり、それが一定以上になると、電気代が安くなってもその日は操業しないようになったりする。

さらに、このシステム全体において、柔軟性に対する受容力のようなものの個人差も考慮される。物事を計画だてて進めることが好きな人は、計画性を重視してめったに予定を変更しないような勤務先を選択できるようになっている。一つの会社の中でも、個人の急なスケジュール変更に対する負担において個人差を考慮する。スケジュールを変えたくない人はその旨を申告しておく。すると、会社のサーバがその人のスケジュールを変えずに、もっと柔軟な人のスケジュールを優先して変更する。そして、柔軟性の無い会社や個人は、余分に電気代を負担することになるのだ。逆に言えば、金で固定したスケジュールを買うという選択肢は残される。

「そこまでして電気代を節約して何がうれしいのか?」と、これを読んだ大半の人は思うだろうが、これを「そこまでして」というのは、情報処理のコストが高いからである。

現状の技術でこれを実現するには、自分のスケジュールを非常に細かく登録したり、30分ごとにPDAを見て自分や会社のスケジュールの変化をチェックしたり、ものすごい手間がかかることが予想される。これを書いている私だって、そんな世界は嫌だと思う。

でも、それは、情報処理のコストが高いからだ。現状では、物事を情報システムで解決しようという発想は、個人にも組織にも非常に大きな負担を強いる。

パソコンのデータ入力画面は使いづらく間違いに不寛容で、PDAは使いづらく設定が大変で、いろいろなものを連動させるには、たくさんのツールを探してノウハウを見つけなくてはならない。業務システムを開発してそういうことを解決しようとしたら、開発費が数億に及び、しかもたいてい、大金を投資したそんなシステムはまともに動かない。

でももし、情報処理のコストが下がり、本当の意味で使いやすいPDAがタダで手に入り、ネット上のさまざまなサービスと連動してくれるなら、話は違う。

ジョブズがプレゼンをすると「わあすごい、夢のような話だ」と思わされて、いざ実物を買うと幻滅したりするのだが、そのジョブズのプレゼンがそのまま実現した夢のように使いやすくユーザフレンドリーなPDAとそれと連動する情報システムがあれば、そんなフレキシブルな世界に住んでもいいような気がする。

食料でも流通でも、こういうレベルで情報システムが安く使いやすくなり全ての情報が連動することを想定して、その最適な状態と比較すると巨大な無駄があるはずである。その無駄は、情報システムに集約され、その情報システムをごく一部のスーパーハッカーが開発する。そういうハックは、ジョブズiTMSのように、単なるソフトウエアではなく、経済システムを巻き込んだ激変をもたらす。

過去において、農業は決まった量の「大地のめぐみ」をつつましやかに受けとる営みであったが、現代の農業は工業と同じように、遺伝子をいじって製品を開発し資本や労働力を投下して「生産」するものである。農業は工業の一部になった。20世紀の人も10世紀の人も同じように人々は農産物を消費するが、20世紀の人々は特殊な工業製品としての農産物を消費している。

21世紀にも、人々は農産物と工業製品を消費するが、それは特殊な情報製品としての農産物と工業製品である。20世紀の農産物が工業製品として扱われたように、21世紀の工業製品や資源は、情報製品として扱われる。iPodは、メモリ容量やCPU速度や音質でなく、そこに入る情報の質を高めることでヒットした、工業製品の顔をした情報製品である。

同じように、電気代が変動相場制になった時には、電気はエネルギーの顔をした情報になり、経済の側から見たら情報以外の何者でもなく情報として処理される。

情報についての力学は、重力の法則のように地球上で一番支配的な法則になるだろう。もちろん、精密に考えるためには、空気抵抗のような違う力学で補完することも考慮に入れるべきだろう。でも、まず物体の運動を決めるのは重力で、経済の運動を決めるのは情報。

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