『エンタの神様』の「切なさ」抜きでお笑いを商業化したラーメンズ

『エンタの神様』の「人気芸人のつくり方」 --活字中毒R。という記事への、id:deadmanさんのコメント。

観てると切なくなってくるのはこういう理由か

そうだよね、あれ見てると切なくなってくる。

この番組はかなり好きだったんだけど、言われてみてはじめて、見てる自分の中にそういう気持ちがあったことに気がつく。

元記事にはその内幕が詳しく書いてあるけど、ここまで徹底的にやってるとは夢にも思わなかった。もちろん、テレビを素直に見ることはめったになくて習慣的に背後のシステムを漠然と想像する癖がついているごく一般的な視聴者である、私は。そういう私たち一般の視聴者の予想を超える徹底したシステム化が成功の要因ではあるし、それは評価すべきことが多いと思うのだけど、私のような一般的視聴者も「切なさ」は感じてしまうんですね。

「面白いか面白くないかよりも、大衆の視点で、分かりやすいか、受け入れられるかどうか」というプロデューサーの判断基準は、自分の視点と大衆の視点を切断している。そこが「切なさ」の原因なんだと思う。自分の視点とユーザの視点を区別しないとプロとしての仕事は成立しないんだろうが、それを徹底しすぎると成功と引き換えに番組全体に「切なさ」がただよってしまう。

私の場合、飽きたというより、「切なさ」が許容量の限界に達してあまり見なくなったけど、「切なさ」の自覚がないまま同じ行動を取っている人は多いのではないか。

一方、こちらのラーメンズによるMacのCMには、そういう意味での「切なさ」がない。

これも商業化されたお笑いなんだけど、制作サイドもラーメンズも、自分の視点を切り離して放棄することなく、ユーザの視点との接点を求め、それに成功しているように思える。