歴史は時代の舵を切る為にあるもの

という南方さんのエントリーは

  • 日本の戦後は、一貫して戦中の国家総動員体制、生産者優遇政策の延長線上にある
  • 70年代までは、そのシステムが経済の仕組みや国際環境と整合的であったのでうまくいった
  • 80年代以降は、両者が乖離しているという根本問題に手をつけず、表面的なつぎはぎ的対処に終わったため、いろいろな矛盾が深刻化した
  • ここで見直すべきは、「連綿と続く国家総動員体制の亡霊」である

という話だと思ったのですが、これには同意します。特に、戦後という時代を、敗戦〜70年代と80年代〜現代に分けて考えるべきだという視点は重要だと私も考えています。

歴史さえ尊重していれば非論理的で献身的な技術者が大切にされ技術は継承されて,日立製作所のタービン設計ミスのようなチョンボは防げたのだろうか.このようなid:essa氏の視点こそ微視的で,歴史を踏まえていないように感ぜられる.

そして、南方さんの批判は次のようなことではないかと思います。

  • essaは「敗戦〜70年代」の社会のあり方を礼賛している
  • 「敗戦〜70年代」の精神が失われたことに、「80年代〜現代」の混迷の原因を求めようとしている
  • その発想では、「連綿と続く国家総動員体制の亡霊」を強化することにつながる
  • 過去に範を求めるのではなく、「80年代〜現代」の状況、今顕在化して露になっているこの状況に適合した社会システム、新しい時代精神を新たに作るべきではないか

(今話題の?)Barさんのコメントも近い趣旨ではないかと思います。

そんでもって、責を「非常に非論理的で献身的な技術者の不在」に負わせてるのはもう。なんか藤原正彦みたいで。「非論理的な献身」に依存する社会をよしとしていたことのほうが問題じゃね? それっていつかはすり切れるわけでさ。先の戦争に負けた一因だよね。「論理的な範囲の献身」でものごとやれるようにしといたほうが、ラクだしうまくいくっつーのをアメリカさんが証明したわけでしょ?

私も、「連綿と続く国家総動員体制の亡霊」、「非論理的な献身に依存する社会」を変えるべきであると思っているのですが、その時に、歴史が役に立つということを言いたいわけです。

歴史と言う言葉を使うと、「連綿と続く国家総動員体制の亡霊」、「非論理的な献身に依存する社会」的なものをそのまま維持することを指しているように思われがちです。あるいは、良くてそれにパッチをあてて改良していく話。

つまり、歴史とはあくまで過去であって、現在とはいかなる意味でもつながってなくて、新しい状況と絶対的に対立するものという前提があるように感じます。

そうではなくて、歴史を学ぶとは微分値を継承すること。本田宗一郎井深大が何を残したかでなくて、何を変革したかに注目することです。

「敗戦〜70年代」の政治家や経営者は、確かに「連綿と続く国家総動員体制の亡霊」にのっかって国や企業を運営してきましたが、自分たちを取り巻く環境に対して目をつぶって、盲目的にそれに依存していたわけではないと思います。彼らのマインドをそのまま継承した政治家、経営者であれば、「80年代〜現代」に、環境と自分たちの齟齬に気がついて、何か反応はしていたと思います。

本田宗一郎さんや井深大さんや池田敏雄さんが生きていたら、ワクワクしながら彼らの2.0を創造して、2.0は「あちら側」でなく「こちら側」を意味する言葉になっていたかもしれない。

これは美化しすぎかもしれませんが、たとえ間違った反応でも何らかの反応をしていれば、社会にはもっと大きな亀裂ができて、若い人が動きやすい社会、企業になっていたでしょう。

私は、「80年代〜現代」の混迷の根本的な原因に、60年間安定の中を生きた高齢者の大群という歴史上類の無いものが産み出した非常に特異な発想があると考えています。それは、歴史を過去として自分たちから切り離して考えるクセです。自分たちの住む世界は安定していて、変化するとしても連続的に変化する、歴史の中の世界は、何段階もの断絶によって自分たちが住む世界とは隔てられていて、関係ない話、ただのファンタジーだという考え方。

そうではなくて、歴史とは時代精神に人々がどう向かいあったかという記録です。時代精神と個人はどんな時代においても齟齬があって、どの時代のどんな地位にいた人もその矛盾に直面し、それに苦しんで、それに立ち向かってきたわけです。その集積があるから時代精神が変化したのであって、自分たちが今生きているこの時代にも、自分たちには見えない所で同じような時代精神の変化が進行していて、それはやがて後世の歴史家によって記録されるはずです。

だから、歴史を学べば、自分たちが生きているこの時代、この社会が本質的にダイナミックなものであって、自分たちの反応によって変化するものであるという基本的な洞察を得ることができます。

この洞察は、神話の時代の源流から延々とここにつながっているのですが、戦後の歴史とともに歩んできた人たちは、それを1945年で断ち切り断絶することを選択したのだと思います。だから、「連綿と続く国家総動員体制」は「国家政策の基本方針」ではなく「亡霊」として生き残ってしまったのです。明示的な基本方針であれば変更することができますが、否定しても否定しても残る「亡霊」では改廃することができません。

Barさんは、「論理的な範囲の献身」という言葉で、アメリカ社会の「論理性」という良き部分のみを取り入れるべきではないか、と言っているのだと思いますが、その「論理性」も実は「非論理的」な長い歴史があって成立しているものです。「人々が論理的であれば全員にとって良い結論に到着するはずだ」という信念は、「神が人間に論理を与えたことは神のビジョンであるから、論理に従うことが神の御心にそうことになる」という非論理的な思いこみから発生しています。

「人間の営みも含めて全てを理性や論理に還元することは可能である」「理性があれば信仰はなくても人は共通理解に到達する」という考え方の人も多いかもしれませんが、これの様々なバリエーションから発生した葛藤がヨーロッパの歴史です。頭のいい人はこれをめぐって哲学的、神学的な議論をしたし、頭の悪い人はこれをめぐって戦争をしました。だから、西洋ではこの類の主張をする人も、なんとなく「これを言うとどっかからきびしいツッコミが入る」という予感のようなものはあるように感じます。日本で同じことを言う人の方が無邪気で無防備。

「日本の社会は中途半端に論理的であって、論理的な分だけ中途半端に成功したが、非論理的な部分が残っていたので結局破綻しつつあって、非論理的な部分を切り落せば復活する」という楽観的な観点や、「日本の社会の非論理性は宿命的なもので絶対に変えられない」という悲観的な観点は、両方とも歴史的な観点を欠いていると思います。

戦後の日本がどのように発展していったのか,と問われれば私は,戦中の国家総動員体制に於ける行政・産業構造を経済発展に転用し,経済的に米国に追いつくところまでは成功したが,その後の戦略を持ち合わせていなかった,或いは転換に失敗したのだと答える.

もし歴史というものを尊重し,心ある技術者が報われる新たな技術大国日本を構想しようとするのであれば,連綿と続く国家総動員体制の亡霊こそ克服すべきだ.

だから、この分析には同意しますが「亡霊の克服」には、歴史的視点が不可欠だと私は考えます。つまり、これを支えた技術者の「非論理的な部分」がどこからどのように成り立ってどのような役割を果たしてきたのかということです。

(9/21 追記)

文中で、言及先の南方・司(みなかた・つかさ)さんのお名前を、「南さん」と書いていましたので訂正しました。南方さん、大変失礼しました。