始末書2.0と池田敏雄2.0

おそらく、池田敏雄さんは始末書をたくさん書いただろうが、念書は書いてないと思う。

書いた時には気がついてなかったのだが、始末書は過去を反省させるものだが、念書は未来を縛るものだ。我ながらうまいこと書いたものだと思った。


自分でこれを読みかえしたきっかけは梅田さんのインタビュー。

A――世代的な面のお話をもうすこし。これは感覚的なものなんですけど、梅田さんの本が支持され、あるいは批判される背景に、かつての日本とは仕事のやり方が変わってきたことがあるんではないかと。以前は、上から邪魔されたりせずにわりと自由に仕事ができていたのかなという気がするんですけど、今はちょっと違いますよね。

梅田 それは2つ理由があって、1つは、かつては日本の会社が若かった。

A――日本の会社自体が。

梅田 ええ、今より若かった。精神が老いてなかった。高度成長期の勢いがあったし、アメリカ的な経営スタンダードが入る前だったから、資金調達とその効率的な運用、といった問題も、いい意味でいい加減にできた。好きなことをやって成長するんだと言う方向を思い切り追求できた、そういう時代だったからというのがありますね。

私と梅田さんは、同じIT関連ではあっても正反対とも言える全く違う世界を見てきたはずなんだけど、不思議と同じようなことを感じていると思えることが多い。

自分が泳がされた経験をふりかえると、俺の上司は仕事の中身は見えてなかったが、俺のことは見ていた。仕事をすればそれをちゃんと見られているという実感があった。だから、安心して怒っていられたのかもしれない。きっと、喧嘩をしながらこちらの顔色を見て、問題のレベルや進捗をそれなりに把握していたのだろう。上司が自分のことをちゃんと見ているという実感が、組織に帰属している感覚を養うのだ。

そういう上司としてのふるまい方は、あちこちで見たから、ひとつの伝統的な芸として、日本のあちこちに定着していたのではないだろうか。おそらく、池田敏雄さんは始末書をたくさん書いただろうが、念書は書いてないと思う。俺が知っているよき伝統は消滅しつつあるようだ。

オープンソースがわからない上司がいたってしょうがないと思うが、部下のやってることが見えてない上司はどうしようもない。部下を怒らせることが問題なのではなくて、部下の目を自分の武器として使えないことが問題である。時代についていけないことが罪なのではなくて、自分たちが継承したものを残せないことが罪である。

「こちら側」と「あちら側」を単純にニッポン対アメリカと割り切れない所もある。ニッポン企業にはそんなに柔軟性がなかったのか。製造業は戦後ずっと馬鹿だったのか。

むしろ「こちら側」にしがみつきビジネスチャンスを見送るのは、戦後60年ではなくて、ここ10数年、「失なわれた10年」に蓄積された特異なメンタリティなのではないか。

本田宗一郎さんや井深大さんや池田敏雄さんが生きていたら、ワクワクしながら彼らの2.0を創造して、2.0は「あちら側」でなく「こちら側」を意味する言葉になっていたかもしれない。

ご本人に迷惑がかかるかもしれないので詳細は伏せるが、ここに書いた「念書」は実話である(と信じられるだけのネット上の証拠なら見た)。「こちら側」企業には今も池田敏雄2.0はたくさんいるのに、全員「念書」で縛られているのだと思いますよ。彼らには「念書」でなくて「始末書2.0」を書かせましょうよ。

始末書2.0は、些細な失策を懲りもせず無限回数繰り返した者の勲章なのか、無数にある石の始末書から玉の始末書を選り分けるシステムなのか、多数の始末書が創発して取り返しのつかない大失策を生み出す作用なのか、そんなことは知らない。

でも、始末書という暴走を許容する制度はきちんと継承すべきだと思うのだ。