PSE法で経産省は誰に話を聞けばよかったのか?

行政が法律を作る時には、たぶん、関連する業界団体等に非公式のヒアリングを行なっていると思う。その中で、そういう団体の関係者と利益と官僚の利益が擦り合せられて、それを骨子として公式の調整過程がスタートするのだろう。

ここだけ見ると「利権の温床」としか言えないが、同時に、この非公式のヒアリングは、官僚の情報収集という側面もあったはずだ。つまり、法案の表向きの目的にしてもそこに寄生する人たちの利益にしても、そこに関わる人たち全体の構図が見えてないと目的を達成できない。一般に、自分たちの利益と相反する人の動向には誰でも敏感なので、業界と消費者が対立するものだとしたら、何が消費者の不利益になるか、本当によくわかっているのは業界団体のはずである。


PSE法の場合、陰で誰がどのような利益を得ようとしていたのか見えてないが(そんな裏の動きはないのかもしれないが)、これを巡る行政のドタバタ劇を見ていると、この「情報収集」に失敗したようだ。おそらく家電メーカーの関係者に事前に打診をしたと思われるが、その時に、中古業者やビンテージ楽器、オーディオ等に関する注意は無かったのだろう。

著作権法がネットに対応できないのも、人権擁護法案の問題も似たような構図があるのではないか?

つまり、ロビイング団体が行政に対して的確な情報を提供できなくなっているのだ。

ロビイング団体が、官僚に的確な情報を提供してその対価として一定の利益を受けるなら、不公正はあっても世の中は回る。おそらく、少し前まで日本の行政はそのように回っていたのだろう。

例えば、「著作権法を改正すれば、インディーズのアーチストの活躍の場は広がるが、既存のレコード会社は対応できないから、なるべく先延ばしにしてほしい」と誰かが官僚に頼んだとしたら、インディーズ VS メジャーという構図を官僚は認識することができる。「インディーズ」と言いつつ実体はメジャーであるアーチストのことのような、関係者で無いとわかりにくい裏事情も教えてもらえるかもしれない。実態を正しく把握した上で、消費者や新しい世代のアーチストの動向を横目で見つつも甘い汁を吸おうとして既存の体制の温存を図れば、ガス抜きや目眩しとしてでも何らかのネットへの対応が必要だと思うだろう。

そういう種類の癒着であれば、今のような盲目的な頑迷保守にはならないのではないか。

ロビイングの中に情報提供の部分があれば、部分的にはWin-Winの解が存在する。つまり、官僚や族議員に正しい情報を提供することの見返りとして利権を得るのであれば、その利権は情報料であって、間接的に国民や消費者が情報料を負担しても、その情報を官僚が活用できれば、全体として行政がうまく回り、誰もがハッピーになる。

PSE法では、業界団体の提供した情報に漏れがあったのは確実だろう。

たぶん今はあらゆる業界団体が、自分たちの敵を正しく認識できなくなっている。IT業界の団体はWinnyWeb2.0のことがわからないし、文化の振興を図る団体は同人や電車男のことがわからないし、家電メーカの団体は中古市場や楽器、オーディオ等の経済と文化の接点みたいな所に目が行かないし、弱者の立場を代弁する団体の中にニートや引きこもりの味方がいない。

だから、そういう種類の団体全てが、自分たちの前任者より、名目の陰に世間の目から隠れることがヘタになっていて、癒着の構図を世の中に晒して、2ちゃんねるで叩かれるのだ。

それで、官僚や族議員と「団体」との癒着を批判するのは、「公正さ」の観点からは当然のことである。しかし、そこを批判して「団体」と官僚を引きはがすことで、官僚は情報源を失なう。PSE法の運用が迷走するのは、適切な情報源を失なったら、いかに優秀な官僚と言えどもタダの人でしかないことの証明だと思う。

ということは、官僚が「団体」の代わりに何を情報源としたらよいのか、それを考えないと、こういう形の問題は解決しないと思う。