野球がスタートした国で

野球がスタートした国でこういうことがあってはならない

WBC・2次リーグ、日本-アメリカ戦での不可解な判定に対する、試合後の王監督のコメント。

これ、史上最高のクレームだと思います。

不当な扱いを受けた時には、きちんと怒りを表明することは重要です。しかし、そこから事態の改善に向けて状況を動かすには、感情的にこちらの不満を言うだけではよくない。相手の立場もある程度理解して、冷静に問題点を指摘した方がいいでしょう。その二つは、簡単には両立しません。つまり、自分の立場や感情に固執して「ヘボ審判だレベルが低すぎる」等と感情的に言えば、相手の冷静な反応は望めないしかえって意固地になるかもしれない。かと言って、被害を受けた本人が、客観的に「野球に誤審はつきものですが」なんて言ってたら、こちらの感情、不快感は伝わらない。

そして、王監督はこれをどう解決したのでしょうか?

「野球がスタートした国」に対する自分の敬意と、それに対する幻滅という形で、自分の感情をストレートに表現しつつ、相手(主催国であるアメリカ)の共感も得られるような表現である「野球がスタートした国でこういうことがあってはならない」という言葉で強い不快感を表明しました。

野球に対する王監督の愛情、感謝の念は、まぎれも無く本物でしょう。そこから自然に湧き上がる「野球がスタートした国」への尊敬の念も、それと同じくらい強いものであったはずです。「その国でこんなことがあっていいのか」という怒りは、王監督の本音でもあるでしょう。

しかし、こう言われたアメリカとしては、簡単にスルーすることはできないんじゃないでしょうか。つまり、「こんなことがあってもいい」と言ったら、この国は、野球の発祥の地ではあっても、野球界に君臨する別格の王者ではなくなってしまいます。単なる一参加国になってしまう。やっぱり、別格の王者であるなら、世界の野球の発展を願って、大会の成功を第一に考えるべきで、公平な審判についてもっと真剣に考える必要があるのかもしれない。

つまり、この抗議は、一方的にこちらの言い分を言うのと同時に、相手のプライドを微妙にくすぐってもいるわです。

また同時にこの言葉は、立場の弱い審判個人を攻撃するのでなく、大会の運営全体に対する不満にもなっています。「疑惑の判定で決着するような試合があっては、WBCの威信ひいては野球界全体への不審をまねくぞ、それでいいのか」そういう意味も含まれています。個人攻撃して「世界の王」と3Aの審判員個人のバトルとなっては、ある意味フェアではないでしょうが、王さんはそうしなかった。実際に、審判の運営にはいろいろ問題があるようで、そこに全体としてフォーカスが当たることになりました。

それが、小手先のメディア操作でなく、野球に対する愛情から自然に生まれた所が素晴しい。王監督はあれこれ考えて発言したわけではないと思いますが、常に自分のチームより日本のプロ野球全体のことを、日本一国のことより世界の野球の発展のことを考えていたから、どんなに感情的になっても正しい方向に自分の感情を表現できたのだと思います。

「長島は天才で王は努力型の秀才である」とよく言われますが、反射的にこの発言ができるのは、やはり王さんも天才なんだと思います。ただ、その天才の背後には、野球という自分の仕事に対する純粋な強い愛情があるのでしょう。

(追記)

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