仕事と社会の双方向インターフェースとしての職業人

「適切な質問」を探す新人たちというエントリには、へべれけ大王さんのコメントをはじめ、この「問題」にどう「対策」すべきかというアドバイスに重点を置いた反応をたくさんいただきました。

確かに、この問題は全く対応できないような難しい問題ではありません。私自身も以下のようなことは試していて、それなりの効果は出ていると思います。

  • 最初に質問することを予告する
  • 1対1で対話する機会を作る
  • 新人同士対等に議論できる場を用意する
  • 全体的な雰囲気をやわらかく
  • (本文にもあるが)質問される側のメリットを強調する、質問することをスキルとしてとらえさせる

上記の元のエントリは、そういう試行錯誤の中で経験したことについて、「問題」の側面を強調して少し誇張した表現をしています。(ブログでうさばらししてる分だけリアルの私はもっと優しい?)

また、特に意識的に対策をしなくても、一年も仕事をしていると大半の人は見違えるように積極的に質問するようになります。へべれけ大王さんもおっしゃるように、こういうコミュニケーションに関わる問題はソフト開発等のITに関係する仕事では重要なことです。だからこそ逆に、仕事自体を教えていけば、自然と解決する問題であるとも言えます。

しかし、対策、解決策があるから問題が無いということにはなりません。

ソフト屋というのは、技術に関わる専門職というより、問題解決に関わる専門職という側面があり、経験を積むにつれて、その要素が増加していきます。だから、プロフェッショナルな技術者の大半が、問題解決一般について、それなりの方法論とスキルを持っていると思います。

それは技術者を評価するポイントでもあり、ソフト技術者、IT技術者という職業を狭く見た場合には、このような解決に重点を置く視点は重要だと思います。

例えば、我々の業界のホットなトピックとして、「アジャイル開発」というものをどのように現場に適用していくかという大きな問題があります。アジャイル開発とは、従来のように設計図や完成予想図をきちんと作ってから開発に入るのではなくて、モノを作りながら考えていくことを中心にした新しいソフト開発の方法論です。

設計図は、開発を担当する技術者が使うのと同時に、顧客とベンダーの間の契約においても基準になるものです。開発作業全体の中での設計図の役割が変わることで、契約の方法論も変わらざるを得ません。

これは、非常に根本的な問題です。契約には、敵同士が休戦の為に合意するという側面があって、条件を細かく詰める必要があります。つまり、根本には相互不信があるのです。アジャイル開発では、顧客と開発者は運命共同体であって、相手を信頼して作業を進めるという方法論なので、不信ベースの「契約」という発想とは相性が悪いのです。そのため、アジャイル開発では最初に契約を従来通りに行なうことが難しくなってしまいます。

この「不信ベースの契約」と「信頼ベースのアジャイル開発」という葛藤は、根底に矛盾を含んでいるので、完全に解決する問題ではありません。

しかし、プラクティカルな対策なら存在します。契約を分割するとか出来高払いにするとか、小さなプロジェクトから導入するとか、口頭で金額の目安を伝えておくとか、キーマン同士の個人的な信頼関係に頼るとか、誰かを騙しちゃうとか、大技小技含めて、正攻法から裏技までいろいろな対策があって、それによって、「不信」と「信頼」の対立関係を糊塗するのが、技術者のスキルというものです。

そういう意味で優秀な技術者を私はたくさん見てきましたし、そういう人たちを見習ってきました。私は仕事の中では、ここに書いているような「根本的な問題」「哲学的な問題」は考えずに、もっとプラクティカルに解決志向で考えています。ある意味では、それが職業というものだと思います。

しかし、職業には別の側面もあります。

職業は、仕事と社会の整合性を取るものであり、本来は、その不一致に対して、一方的に仕事を削って仕事の形を変えるだけではなくて、社会を変えるように働きかけることも同様に職業人の責務に含まれているのではないでしょうか。

アジャイル開発」と「契約」の不整合を見たら、「契約」という考え方自体に何かおかしいことがあるんじゃないか?「不信」を前提にしないと本当にビジネスは成立たないのか?と問題提起する。「適切な質問」を求める新人を見たら、誰がなぜ何のためにそういう方向に若い人を仕込んでいるのか文句を言う。

そういうふうに、仕事の中から出てきた問題そのものを社会に対して発信することも重要だと思います。

「適切な質問」という問題は、解決するのは容易です。でも、それだけではなくて、「『適切な質問』というものはITの世界には無いんですが、体験的にそれを教えておいていただくことはできないものでしょうか?」と学校教育の場に問いかけることも、私は同等に重要だと思います。

現場の先生方にこの問題を考えていただけたら、その背後にある、日本の社会や文化に暗黙にビルトインされているひとつの圧力を暴き出すことができかもしれないし、それによって、我々が意識的にこれを継承するかしないか考えるチャンスが生まれるかもしれません。あるいは、学校教育や日本文化の問題ではなく、別のルーツがあるのかもしれません。とにかく、時代の先端(と言われるより泥臭い商売ですが)であるITの現場で発生しているギャップを、社会に発信することは、有益な結果を生む可能性が高いと思います。

そういう意味で、仕事に対する働きかけと、社会に対する働きかけは、同じように重要であり、仕事と社会の接点に人がいることの意味は、それをする為であると私は考えています。

つまり、職業人とは、仕事と社会の間に立つ双方向インターフェースなのです。

ひょっとしたら、長期の社会の安定がそういう発想を忘れさせているのかもしれません