老人とお年寄り

老人のことを老人としか思ったことがない人がこれからたくさん老人になる。これは、世界史的にも例の無いことで、結構、大問題だと思う。

これまでの老人問題は、老人のことをお年寄りと思っていた人が老人になった、という問題である。だから、老人は自分が老人になった時に、自分のことをお年寄りと思っている。思うことができる。自分ではお年寄りと思っていて回りからは老人として扱われるという摩擦は、当然たくさんあったと思うが、このギャップは外面にあるギャップである。彼らの頭の中では、彼らは一貫してお年寄りである。内側には葛藤はない。回りが、老人に向きあった時には、そこに解決策が存在する。

しかし、老人のことを老人として見ていた視線を、今度は自分が老人になったからと言って、その同じ視線を自分に向けられるものだろうか。回りは自分のことを老人として扱うので、外面にギャップはないけど、それを受け入れ難い内面にギャップがある。

彼らにとって、お年寄りという言葉は、老人が自己認識に使うものでしかなくて、「お年寄りを大切にしましょう」と口に出すことがあったとしても、内心では老人のことはあくまで老人と思っている。方便と偽善としての意味以上の意味が、彼らの使うお年寄りという言葉には存在しない。

結果として、老人は自分が老人であることを否定し続けるだろう。これまでの老人よりずっとよく労働してずっとよく消費するだろう。しかし、どう悪あがきをしても、彼らは「これまでの老人よりずっとよく労働してずっとよく消費する老人」でしかない。回りが、彼らに向きあった時には、そこには「お年寄り」という落とし所が存在しない。従来の老人問題における問題の解決が問題の発端になるような、これまでに類の無いややこしく難しい老人問題がこれから頻発すると私は予想する。