リベラルな政策は町内会型政府には実現できない

太田述正 - 時事コラム: 岡田民主党破れたりから


結論から先に言えば、岡田さんは参謀としてしか使い物にならない人物であるのに対し、小泉さんは指揮官としてしか使い物にならない人物であるところ、そんな岡田さんが民主党の指揮官になったことが、必然的に民主党の敗北をもたらしたのです。

結構、小泉さんに辛い採点で、一部の政策にも批判的な人の評ですが、これは面白い。


小泉さんについては、これも具体的な名前は秘しますが、私の複数の知人が異口同音に、小泉さんは、政策の理解能力が乏しく、そのくせ思いこみの激しい人物だ、と証言しています。個々の選択肢の詳細を理解し、整理した上で、指揮官の判断に供するようなことができるような人物ではない、つまり参謀は到底務まらないということです。

確かに、こういうタイプは参謀どころか、平社員もつとまらない。


その代わり、小泉さんは、大局観にすぐれ(大衆が何を欲しているかを感知する能力があり)、単純明快な作戦目標(例えば「拉致問題の解決」、あるいは「郵政民営化」)を設定することができ、指揮官としてのパーフォーマンスに長けている(自らがフォトジェニックであるだけでなく、演劇的空間を創造することができ、一見(いちげん)のお客を惹き付けることに長けている)、という点で指揮官としてはうってつけです。

よく読むと、これも褒め言葉ではないですね。

しかし、太田氏はこの続きで、両党のマニフェストを比較して、次のように述べています。


民主党議員には官僚出身者が沢山いるのですから、例えば彼らのうち何人かにマニフェストを通読させることはできたはずです。恐らくそれすらもやっていなかったと思われます。 民主党にとってのマニフェストの重要性を考えれば、これでは管理者としての岡田さんの適格性を疑われても仕方がありません。


他方、自民党マニフェストは文書としては整っています。しかしこれは、小泉さんの管理能力とは関係なく、政権政党であり続けてきた自民党の強力な事務局のたまものでしょう。

リーダーシップだけのトップと事務能力だけのトップのどちらを選択するか。それは、どちらの部下が事務能力を発揮できるかという問題で、世耕氏のようなタイプが他の専門家と共同作業をしやすい環境はどちらかという問題です。

小泉政権の実行力が民主党に勝っていることは、リーダーが代わらない限りほぼ確実だと思います。そして、それは個人の資質の問題ではなく、危機感の認識と組織としての体質の差でしょう。

だから、私は思うのですが、今回の選挙は、「大きな政府」と「小さな政府」の選択ではなくて、町内会型政府、「何もしない」政府と「何かをする」政府のどちらを選ぶかという選択だと思います。

リベラルな政策は町内会型政府には実施できません。オウム信者への対応に典型的に現れますが、異物に対応できない町内会が、多様性を許容する社会を構築できるとは思えません。現状からゆるやかにそこへ到達できるとは思えません。

多様性を許容する社会を構築する為には、まず何かを「構築」できる政府を選択しなくてはならない。これは、「多様性」と「構築」のどちらに優先順位を置くかという問題なのです。私は、日本の現状が「多様性」からほど遠いと思っていますので、まず政府に実行力を与え、次にそれを正しい方向へ導くべきだと思います。

最初のフェーズで失敗すれば町内会型無策政府の元でのゆるやかな破滅、次のフェーズで失敗すれば強権国家としてのすみやかな破滅が待っています。そこにリスクはありますが、他に選択肢はありません。

私が欲しいものは、より純化した小泉政権と実行力のある民主党です。その二つがあれば、どちらかがもっとリベラルな社会を作るでしょう。そして、どちらも一気に手に入れるチャンスが目の前にあると思います。