「最悪」と「もっと最悪」を意識的に選択する

昨日紹介した記事の配信元であるUPIは、2000年に統一教会系の会社に買収されたそうです。その件についての関連記事。

それと、おとといの記事で取りあげた大紀元は、中国で弾圧されている宗教団体の法輪功の関係者が設立したメディアだそうです。SARSの時にいち早くスッパ抜いたこと等で注目されていますが、掲示板の投稿等をソースにした記事も書くことがあるそうです(未確認)。

どちらも、中国に対抗する立場を明確にしているメディアですから、そこから出る情報には一定の注意が必要でしょう。しかし、何もそこから情報を汲み取れないかというと、そうではないと思います。

UPIが買収されて以来、そのメディアとしての信頼性に疑問の声は多くあがっていますが、これまでの所、大誤報やあからさまな誘導記事は書いてないようです。いろいろな線で探してみましたが、具体的な記事に対する批判は見つけられませんでした。UPIが謀略の武器として買収されたのだとしたら、今の所は「UPIは編集の独立性を維持し、公平な報道活動を続ける」という建前を守り羊の皮をかぶっていて、いざという時の為に温存されて来たのだと思います。

そして、もしこれが悪質な誘導記事であったら、いよいよUPIの黒幕は「決め球」を使ったということいなります。ということは、以下のどちらかであることが推測されます。

  1. 中国政府が簡単にこれを否定できないと予測している(そういう情報を持っている)
  2. この誘導にはUPIという温存してきた秘密兵器を使いつぶすだけの価値がある

つまり、これが後に否定されたら、宗教団体のメディアの買収に批判的だった人が騒ぎだし、これ以降は、何を言っても、この記事を根拠として「『あのエボラ誤報を出した』UPIだから」と言われて、誰にも信じられなくなります。そうすると買収の意味が無くなってしまうわけで、それをUPIが意識していないとは考えづらいです。

だから、単純に考えると、「中国政府はこれを否定することができない」つまり、「四川の奇病問題について中国はWHOの査察を受け入れる状況にない」という情報を持っていることになります。さらに、統一協会に飼われた勝共議員たち…というちょっとアヤシゲな話を信じるならば、UPIの黒幕とはブッシュ政権そのもので、その情報はCIAや軍からのものかもしれません。

あるいは、もしこれが否定される(流される)ことをある程度計算してのものであったとしたら、「ここでジョーカーを切ってもいい」と言えるほど重大な局面を、今世界が向かえつつあるということになります。

ですから、全面的に信じられる情報ではないとしても、これをスルーしてよいとは私には思えません。

(もっと陰謀論めいたものとしては、統一協会と北朝鮮がマッチポンプをしているという説もありますが、ここまで来ると、私には手に負えないというか、どう考えてよいかわかりません)

そこで、日経BP(MedWave)の記事の「WHOは経過に注目している」という表現を見直したのですが、これは「大きな事件が起きているけど信頼できる確実な情報がない」という状況には、なかなかよい表現かもしれません。

マスコミは、こういう微妙な表現のストックをたくさん持っていると思うのですが、「経過に注目している」とさえも書けないほど、日本の他の報道機関は萎縮しているようです。

一方、AsiaOne(The Straits Times)というシンガポールの新聞は、先月28日の時点で、中国の細菌はエボラと鳥インフルエンザの合体ウィルスかなどと言う、かなり踏みこんだ記事を書いています。

ざっと検索した結果では、どちらも、有用な情報源とされていて、東スポのようなメディアではないようです。

こういう状況をどう解釈したらよいのか、また、六カ国協議や日本の国会の緊迫化等との関連をどう考えたらよいのか、それは、私にはわかりません。

ただ、米中関係は緊張に向かっていて水面下で非常にたくさんのことが起きているのは、確実だと思います。また、日本のマスコミはそういう状況の中で無力化しつつあるか、陰謀に巻きこまれていることも、ほぼ確実でしょう。

こういう時こそ、不確実な状況下でどうすべきであるか、ということを考えるべきだと思います。

冷戦には、二つのことが確実に起こります。

  1. どちらの陣営も緊張緩和時より悪い政府になり、最悪な国と最悪な国が対峙する中に巻き込まれる
  2. 戦争は謀略戦となり、あらゆる意味での不確実性が高まる

この二つの流れと、ネットによる情報開示が同時進行していくわけです。

この場合、「最悪」と「もっと最悪」という二者択一を、さまざまな局面で我々は迫られていくのだと思います。NHKか朝日か、小泉か亀井か、人権擁護法案人権侵害救済法案か、自公連立政府か民主単独政権か、そういうさまざまな「最悪」と「もっと最悪」の選択肢の背後に、アメリカか中国かという「究極の最悪」か「もっと究極の最悪」かという選択肢があるわけです。

そして、情報開示が進むことで先に正体がわかるのは「最悪」でしょう。「もっと最悪」はもっと最悪だからこそ、情報開示を先延ばしする手を持っているのですが、「最悪」は先に自分が「最悪」であることを開示するだけの正直さを持っているわけです。

前の冷戦の時に、単純に共産陣営のプロパガンダに乗せられた学者やマスコミは言語道断ですが、良心的な反米派も数多くいたのだと思います。彼らは、見える「最悪」を「最悪」として批判したわけです。見えない「もっと最悪」に対しては、沈黙を守った。それは、学者やジャーナリストとして一定の見識かもしれません。

自分が信頼できるソースのみを根拠にして議論を進め、わからないことには発言しない。それは、条件によっては、良心的で正しい態度です。

しかし、これから始まる(かもしれない)第二の冷戦、強制的な情報開示を伴なう冷戦においては、そのような態度は、意図せず「もっと最悪」を擁護することになります。

もちろん、私は、自分がラベリングした「最悪」と「もっと最悪」の区別が絶対的に正しいとは思いません。むしろ、自分の選択には自信が持てず、ツッコミビリティの高いブログというメディア以外で、そういう意見を発表する気はありません。

しかし、「最悪」を批判する知と比較して、「もっと最悪」を批判する知が欠けているような気がしてしょうがないのです。だから、無知を暴露するの覚悟して、いろいろと発言するわけです。

私が信頼するブログを書く人の中で、かなりの割合の人が、不確実な「もっと最悪」への批判を安易に留保しているように感じます。

そういう方が「最悪」を「最悪」と批判する内容の多くに私は同意するのですが、その一方で、不確実な「もっと最悪」に対して沈黙を守ったり留保を表明することは不可解に思えます。

別の言い方をすると、ゴルフのように静止した玉なら打つけど、野球のように飛んで来る玉、ボールかストライクかわからない玉は相手にしないという態度です。

もちろん、ゴルフのように全ての状況をスタティックに確定させてから発動する知もあります。その存在と必要性は否定しませんが、そういう知では、陰謀うずまく冷戦の中の国際情勢の中で飛んでくる玉は打てません。

また、バッティングでは、ボールを見送ることも立派な技能の一つです。松井もイチローも、その技能において天才であることが、彼らの活躍の重要な基盤であると思います。

私は、せいいっぱい自画自賛して悪球打ちの岩鬼であって、私のように、2ちゃんねるで簡単に躍らされて、何でもかんでも手を出すことが望ましいとは思いません。

ただ、私は、「最悪」と「もっと最悪」の選択は意識的にしたいと思い、その為には、不確実性の中でリスクを冒すことは避けられないと考えています。そのことは、今、我々が生きているこの世界について考えるためには、誰にも普遍的に必要なことだと思うのです。

この奇病騒動がどう進展するのかは予想もつきませんが、この事件によってそのことがより明解になってくるのではないかと思います。