嫌韓がキャズムを超えてモテアイテムとなる

父の友人で戦争中は軍国少年で、戦後すぐは熱烈な共産主義者で、しばらくするとモーレツサラリーマンとなった人がいた。父はその人に対して、複雑な感想を漏らしていたが、私なりに要約して翻訳すると「彼は何のためらいもなくモテの王道を歩んで行ける人だ」ということだ。一度だけ、その人の家族と一緒に海水浴に行ったことがある。子供の頃のことでかなり記憶はあいまいだけど、一緒に遊ぶには楽しいおじさんだったと思う。だから、なんとなくその父の評は納得できた。

私自身の青春時代は、すでに「なんとなくクリスタル」の時代で、非政治性がモテアイテムになっていたのだが、このような体験から、政治信条がモテアイテムとなる時代があったことを多少は想像できる。その分だけユーミンの革命性も深く理解できると思っている。

実は、私は「モテ」という言葉の意味がよくわからないまま使っているのだが、異性を引きつけることを中心としながらも、それのみではなくて、それを包含するある種の生き方として「モテ」と言っている。ライフサイクル的に言えば、キャズムのすぐ後くらいが「モテ」なのではないだろうか。

マンガ嫌韓流によって、嫌韓や反反日キャズムを超えそうな気がする。同時に、それがモテアイテムになる気がする。

山下達郎アーリーアダプターであった私は、彼がキャズムを超えた瞬間を目撃している。そして、彼がライフサイクルを通していかに一貫していたかを知っている。それはいつでも古いアルバムを聞くことで確認できる。

しかし、世の中の山下達郎を見る目は大きく変わっている。嫌韓や反反日もそうなるだろうと思う。そして政治信条がモテアイテムの重要な要素になるのかもしれない。そういうことが起こり得ることまでは想像できるけど、それがどんな影響を及ぼすかは想像つかない。

だからこれは、あまり自信のない予言であり、あまり当たってほしくない予言である。