NWatch ver.4 - 「リンクは絶対に自由だ」のもとで迫害される人々とその続編から、感情的な強調表現を抜き出してみました。
- (略)様な人は僕はクソだと思います
- このような乱暴な主張
- しょうもない目的
- そもそも学問をやる資格は無い
- 言語道断なのです
- 僕には悪い冗談にしか思えないのです
- お話にならない方の批判
- そういう意味ではこの人は一流の扇動家と言えるでしょうな
- と叫ぶ人々なのです
- 僕はこんな人が研究・教育職なんかやっているということに絶望しました
要所要所にこういう決めゼリフを散りばめて注目を集める方法を、rir6メソッドと呼びましょうか。
それはともかく、この目眩しに惑わされないようによくこれらの文章と、まとめを読んで見ると、これはひとつの要求仕様書として読むことができると思います。つまり、
「他者に認められたい」という欲望と、それとは全く正反対の欲望、つまり「他者を排除したい」(という欲望)
というニーズが満たされてないという現状の問題点を指摘するものです。
そして、完全に開かれたWEBと、完全に閉じられていて予期せぬ出会いを不可能にするパスワード制のようなシステムは、ともにこのニーズに対応できてないという指摘です。
要求仕様書を提示されたら、さっさと実装してしまうのが真のモヒカン族ではないでしょうか。(例えば、ディープリンク禁止を実装してしまったishinaoさんのように)
もちろん、この要求仕様には根本的な矛盾があるのですが、あいまいで矛盾したことを言い(時に罵倒してくる)ユーザに対応できないようでは、よい技術者になれません。これは要求仕様の一歩前の現状分析と言うべきものかもしれませんが、非常に重要な指摘がいくつか含まれていると思います。
文言単独主義ではそのようなことは考慮されず、文言のみで絶対的な定義があるかのように文言を扱います。モヒカン族は良く「言葉の定義をきっちりしろ!」と言いますが、しかし時代背景・文化・社会状況などから遊離した定義を作るなんて不可能な訳で、使われる毎に文言というのは新しい定義が生みだされていくと考えるべきなのです。
ものごとを定義する為にはコンテキストが必要なわけで、ルールに合意するにはその手続きや前提条件等の上位のルール(メタルール)に関する合意が必要です。ものごとをクリアにしようとする人は、メタルールやコンテキストに敏感でなくてはなりません。
しかしメタルールやコンテキストに敏感な人は、現状のそれによって圧迫されている人で、現状のシステムで利益を受けている強者は、それを主題化することを拒む傾向があります。強者はそういうメタな議論を「悪い冗談」とか「お話にならない」とか言ったりしますが、そういう言葉を圧殺することは暴力だと私も思います。
モヒカン族は2038年1月19日3時14分8秒までに反対勢力の数の力に負けて滅ぶことが決定しています
と書いているくらいで、自分たちがそのような強者であるという自覚はないのですが、これは、真剣に考えなくてはいけないことだと思います。
そして、その際に参考になるのは、rir6さんもおっしゃるように(真贋含めた)メンヘラーの人たちでしょう。私も以前、swan_slabさんの文章に触発されて似たようなことを考えたことがあります。
こういう人たちが必要としている対話のあり方は、現状のWEBではうまく対応できないのですが、これは一部の人が持つ独自のニーズではなくて、本質的には誰でも持っている普遍的なニーズだと思います。アクセシビリティに関する研究のように、特殊なユーザの要望に対応し、さらにそれを一般化して誰にとっても役立つものに発展させていくことは、技術開発の王道のひとつです。
王道は常に困難な道ですが、それは失敗しても実りがあるものです。
この問題は、論理的につきつめると無理のあるニーズだと思いますが、無理を言うのは技術の進歩にとっては悪いことではありません。むしろ、錬金術とか永久運動のように、最終的には「原理的に無理」と確定したニーズが、結論に至るまでの過程でいろいろな技術を産み出しています。人工知能の探究がLispや smalltalkのような画期的なプログラミング言語につながったことや、この「儀礼的無関心」の問題も、やがてこの系譜に入れられることになるかもしれません。
rir6さんは、
僕は倫理を信じます。そして例え何も利益が無くても不条理に「倫理」を信じ、それに基づいて他者と対話しようとするでしょう!
とおっしゃっているので、提示されたこの問題点について、倫理(とそれに基く対話)で解決されようとしているようです。あるいは、解決の見込みがなくともそこを追及する所に価値を見いだしているということかもしれません。
私は、倫理一本ではなくて、システム(技術と社会)をアップデートしながら同じことをすべきだと思います。その為には、現状のシステムがどういう状態なのかを明確にすべきで、「無断リンク禁止」が技術的に無意味で、法的な根拠がなく、これまでWEBを活用してきた人たちの慣例に反しているいうアピールは必要だと考えます。
そういう意味で、解決の方向性については意見が違うのですが、ここで提示されている問題は真剣に考えるべき問題だと私は考えます。また、原理的に解決不可能と思える仕様の中でもがき苦しむことに意味を認めることは同じです。
それと、これは大事な問題だと思うので、rir6メソッドはやめてほしいと思うのですが、同時に、この芸風が消えてしまったらさびしいという思いもあって、これについてはなかなか複雑な気持ちです。(ここにも典型的な波動関数的欲望が‥‥)