50年後の仮想的な自分を意識してブログを書く

上に書いたような問題を考えるための手掛りとして、「相手と自分を置きかえる」という手がある。相手の立場に自分を置いて、その自分が嫌だと思うならそれをしない、それを受けいれられるならやってもいい、という考え方だ。

北朝鮮の問題では、あまりに状況が極端で、これがなかなか難しい。北朝鮮にはブロガーがいないし2ちゃんねるも無いので、普通の人の本音を探ろうと思っても手掛りがない。あらゆる発言が政治的に利用されていて、どこまでが脚色なのかが全くわからない。

そこで、次善の策として、時間軸を使うという方法を思いついた。

太平洋戦争中のアメリカ人の日記とか見ていて、その人が、当時の日本の政治体制について批判していたらどう思うだろうか。私も当時の日本には多くの問題があったと思っているから、批判していること自体は問題がない。問題は批判の内容だ。

でも、その人が「ジャップ」という言葉を使っていたら、これは、やっぱり、ちょっとやだと思う。「ジャップ」という言葉を使う人の日記は、感情的に平静で読むのに、少しだけ努力を要するだろう。

この例での、「ジャップ」という言葉をいやがる私と、「ジャップ」という言葉を使っているアメリカ人の関係を、未来方向へシフトするのだ。

つまり、50年後に、今、北朝鮮と私が呼んでいる地域で生まれた自分を想像して、その人の目になって判断するのだ。50年後の彼が、金正日体制に関して、私と同じ見解を持つとしても、「北朝鮮」という言葉については、ちょっとやだと思うのかもしれない。そうでないかもしれない。

結局、こんな手を使っても確信は得られないけど、迷った時には、時々、その50年後の彼の目を意識して考えてみようと思う。それは、単なる想像ではないのかもしれないし。