全体最適への心理的・宗教的アプローチ

HSKI's: 年金制度改革は生産性向上から。


この辺りの事情は、BPRに関わったことがあれば納得がいくと思う。業務プロセスを洗ってみれば、無意味に複雑なプロセスがたくさん見つかるはずだ。それを簡素化してコストダウンを目指せば、激しい抵抗に遭う。仕事を失う人には死活問題だから。「全体最適なんて関係ない。自分の関わる部分だけが問題だ。」結構知的な職業の人でも、そう考える向きは多い。ここに到って、ばかばかしさは物悲しさに変わる。

BPRと言わず、システム分析・設計していると常に感じることです。

それで、これは人間の性だから仕方ないし、解決にはある程度強制力を伴なった政治的・法的アプローチが必須である、と思っていたのですが、中沢さんの本を読んでそうではないと思うようになりました。

問題は「全体最適なんて関係ない。自分の関わる部分だけが問題だ」と簡単に思ってしまう人が多いこと。自分が「全体」に同一化できてないんですね。「全体」が滅んでも「自分の関わる部分」を守ろうとする人が結構います。損得の問題というより、心理的な病気の問題なんです。「視野の狭さ」の問題とも言えますが、「見えてない」というよりは「見たくない」から視野が狭い。

「全体」が合理的な側面しか受けつけないことが本質的な問題です。「自分」には合理的な部分とそうでない部分とあって、現代社会には、合理的な部分をアイデンティファイするものはたくさんあるのに、合理的でない部分をアイデンティファイするものが無いんです。ですから、大半の人は常にアンバランスをかかえている。

プロセスの改善は一般的に合理性を根拠としていますから、そこに自分を全体的にアイデンティファイすることは、自分の中の合理/非合理のバランスをさらに崩す方向に向かう。だから、そこに心理的な抵抗が生じます。これを解決するには、次のどれかの手段が必要です。

  1. 「全体」に非合理性を持ちこむ(例:愛国心愛社精神の鼓舞)
  2. 「改善プロセス」に非合理性を持ちこむ(例:改革勢力への熱狂)
  3. 非合理の置き場を意図的に用意する(例:便所の落書きへの埋没)

1と2は有効ですが、非合理性が暴走してしまうことが問題です。だから、私は3がいいと思います。