「パーコ麺」という問題がある国

hizzzさんが自分がマトになる危険を冒して、言葉の暴力というわかりやすいまとめを書いてくれました。感謝します。

さらにここからリンクをたどると、短いけど深い考察が次々と出てきます。

こういう感覚はおそらく欧米には通用しないでしょうが、それは我が国の方が先を行っているからです。(先を逝っていると言った方がいいかもしれませんが)

「失なれた10年(+α)」とその結末によって、後の経済学者はデフレ経済や構造不況に関していろいろなデータを集めることができるでしょう。日本がどちらに転ぼうが、それは有用なデータになるはずです。それは市場経済や各種インフラの確立した国でしか使えないものですが、有用なデータが残るのは間違いない。

それと同様、「パーコ麺」という概念も、経済的な安定や(表面的であっても)経済機会や教育の平等、さらには平和とか言論の自由とかいろいろなものが無いと意味の無い概念です。そういうものが全部あるのは日本だけなんでしょう。だからと言って、その有用性が無くなるわけではない。この国にあるのは、仮想的な平等や仮想的な自由なのかもしれませんが、それによって起こるタコツボはリアルであって、「こんなに精神安定剤を使わないと安定しない社会」なんです。そこで起こる問題にはおそらくこれから他の国もぶちあたるんです。

上にあげたような言葉が簡単に見つかる国って、すごいんじゃないかと思う。

(追記)ちょうど今日の《陸這記》 crawlin’on the groundに、「社会全般からすべての『長期で安定的な関係』が失われていくという、おそらく人類始まって以来、未曾有の事態」という言葉があってビックリ。