CCとGPLの不自由の意義


でもまぁ、自分がこの「不自由さ」を受け入れるのと引き換えに、コードが自由を手に入れると考えることにしてはどうか。親が子供のために多少の不自由を我慢するのは、とうぜんのことではないか。

すごくいい表現だと思いました。

しかし、残念ながらこの「とうぜん」がわからない人、子供やコードがどーなっても自分さえ良ければいいって人もいるんですよね。


CCCDをリリースしても平気な顔をできるくらいに、対象への愛を欠いた人が、今「音楽を売る」側になりつつあるんだってことなんだ。

A Pleasure of Deep Breathより。