ブログの「と金攻め」

それで、梅田さんが言っているその「糸口」とは何だろうかと考えてみた所、「と金攻め」という比喩を思いつきました。

「と金」とは将棋の言葉で、一番弱い「歩」という駒が敵のテリトリーに入ると裏返って、「と」という強い駒になることです。「と」の働きは、「金」というかなり上位の駒と同じなので「と金」と言います。「と金攻め」とは、飛車、角、金のような最初からステータスの高い駒を前線に送らないで、歩が裏返った「と金」で敵陣を攻めることです。旧来のジャーナリズムから見ると、ブログによってジワジワと自分のテリトリーを侵食されていく感覚は、まさに「と金攻め」ではないかと思います。

なぜ「と金」で攻めることが普通の「金」や「銀」の攻めより有効かと言うと、攻めている駒を取られて持駒(敵の捕虜)にされた時に、それがただの「歩」になってしまうからです。強い駒で攻められると、その攻めは強力ですが、前線にある駒を捕虜にしてしまえばその戦力が自分の側の戦力になって、その戦力を守りの強化に使うこともできるし、攻撃力の強化に使うこともできます。ですから、普通の強い駒で攻めることにはそれなりのリスクを伴うわけです。しかし、「と金攻め」であれば、攻撃を受けている時には「金」の威力で攻められているのに、その戦力を捕獲したとたんに「金」のパワーがあったはずのその駒が、最低レベルの「歩」になってしまうのです。リスク無しに攻めることができるわけです。

新聞社がブロガーをスカウトして記者として採用したら何が起こるでしょうか?読者から見たブログの魅力は検閲無しにフリーハンドで好きなことを書いていることから生じるわけで、新聞社のシステムの中に取りこまれたブロガーは、ただの素人記者でしかなく、ほとんどの読者が離れてしまうと思います。新聞社から見ると、「向こう側にいる時は戦力なのに、こちら側にすると使えない」わけで、「金」と思って取りこんだらただの「歩」でした、ということになると思います。

2ちゃんねるを買収したり裏から手を回して操作することは可能だと思います。ひょっとしたら、もう部分的に行なわれているのかもしれません。しかし、それが成功したとたんに、2ちゃんねるは「歩」になって影響力を失ってしまうでしょう。「裏切者」とレッテルを貼られて晒されるわけではなく、なんとなく面白くないからやーめたという感じで人がどんどん去ってしまう。「と金」を盤面から消すことは可能ですが、そんなことしている間に次の「歩」が成りこんで来てしまうわけです。

梅田さんの言われる「玉石混交問題」とは、玉が永遠に玉のままで石が永遠に石のままであるというパラダイムが、次のパラダイムに移行する過程で、仮想的に発生した幻のようなものだと思います。あるいは、玉を自分の側に取りこみたいと考える権力の側にとっての問題でしかありません。

ネットにあるのは無数の「歩」であって、「歩」が自分の目標とする所に成りこんだら「と金」になるわけです。「と金」は好き勝手にしているうちは「と金」ですが、捕獲してしまったら「歩」に戻ります。「歩」と「と金」の区別がつかないというのは、問題ではなくてネットの本質だと思います。むしろ大半の人にとっては、それは喜ぶべきことです。「歩」が「と金」になることで産み出される新しい価値を、みんなでシェアすることができるからです。

ブログはその事実を明確に浮かびあがらせる技術です。「玉石混交」問題なんてものはなかったのだということをハッキリさせただけだと思います。