救急救命の本質

子供を救うまでの「長い道のり」にも書きましたが、私は児童相談所の怠慢を責めるだけでは問題は解決しないと思います。おそらく、こういう所では、地域社会に依存しつつ(従って地域社会に縛られながら)いろいろな配慮をせざるを得ないものがあるのだと思います。援助している子供やその親はとりあえずは地域社会の中で生きているわけです。児童相談所が地域社会とケンカしたり浮いた存在になってしまっては、継続的な活動はできないし子供やその保護者を支援することも難しくなるでしょう。

「子供を助ける」というのは、場合によってはそういう長年の微妙な努力をぶちこわしにして、強権を発動することです。ハードなバカ親に対応する為に、もう少しマイルドなバカ親の支援をあきらめなくてはいけないのか?という問題だと思います。

切迫した状況で人の命を救うというのは、本質的には戦争です。軍隊のように緻密な指揮系統の組織で一切の例外を認めず確実に作戦計画を実行するしかない。もし「地域社会」が障害になるなら、徹底的に「排除」するのが当然。しかし、そういうことと「人を長期的に支援する」することは、どうしても両立しないと思います。まず、枠組みや組織の目的をきちんと定義しなおすことが必要ではないでしょうか。