起業の障害となる資産家の成功体験

堺屋太一 「沈みゆく日本」への警鐘によると日本は先進国で唯一、ここ数年の起業数が減少している国だそうです。


アメリカの大学では最も優秀な学生は自ら会社を興す。そうした能力のない平凡な学生がいわゆる大企業を目指す。アメリカでは起業家は憧れであり尊敬の対象になる。が、日本では官庁や大企業の人事ヒエラルヒーを上り詰めた人が叙勲される。日本においても、起業家の成功を称えるシステムをつくり上げる必要がある。

この問題提起は、起業する側の意識、それを評価する社会全体の雰囲気に対する問題提起と読むと、感覚的には実感する所が多いと思います。しかし、起業の当事者は起業家だけではありません。起業する側と同様に、それを評価して資金提供する人の存在も重要です。

同じ堺屋氏の経済企画庁長官講演では、これを起業家、金融、需要者の三つに分けて、それぞれに問題を指摘しておられます。

私は、この金融の問題がさらに次の二つの問題点を含んでいるのではないかと思います。

  • 高リスク物件に特化したノウハウを持つ仲介者の不足
  • 起業(ベンチャースピリット)に対する資産家の感情的な反発

起業は、前例のない新しいことをするのですから、成功した時の見返りは大きいですがそのぶんだけ高リスクです。ですから、たくさんの投資対象を集約してリスク管理する仲介者の役割が重要です。堺屋氏が言うように、仲介者、ベンチャーキャピタルが未整備であるという、システム的な問題がまず根本にあると思います。

しかし、私はもうひとつ別の原因があって、ひょっとしたらその方がより重要ではないかと考えます。それは資産家、お金を持っている人の考え方や、その元となる彼らの過去の成功体験の偏りです。

どのような所にお金が供給されるかは最終的には資金を提供する側の判断です。たとえ仲介者がいるとしても、仲介者も提供者の意志に間接的に影響されます。資金の提供元の意思を無視していては、いかに利回りのよいサービスを提供できてもお金は集まりません。資産家がその判断をする上で基準となるのは、彼らの過去の成功体験ではないかと思います。

もし、彼らが今持っている資産を、新しい商品、サービスを創造して得たのではなく既得権を最大限活用する形で築きあげたとしたら、顧客を豊かにして稼ぐのではなく、どこかから奪うことで自分の今の地位に登りつめたのだとしたら、本能的に自分と同様の手段で経済活動を行なう人を投資先として求めてしまうのではないでしょうか。そして、その要請は、本能的、感情的なものであるだけに、(リスクを考慮した上での)投資先の潜在的な価値を判断することを歪めてしまうのかもしれません。そこに、今必要とされているベンチャースピリットとの葛藤があるのではないでしょうか。

この仮説は、「起業数の減少」という日本独自の現象を説明する上で、日本の特異性を説明するものになるかもしれません。

なお、この文章は、『勝ち組』倶楽部〜てんこもり野郎BLOGをヒントにしています。というより、それを別の表現で書き直したものと言うべきものです。元の文章には、その資産家の特異性についてほのめかす記述があり、そこには残念ながら、問題のある表現が具体的な根拠を示すことなく含まれています。

金融の問題をシステム、構造の問題として思考停止することなく、資産の提供側の意識の問題である可能性を指摘したことと、「資産家とは具体的に誰のことか」という問題に踏みこんで指摘していることは評価しますが、その記述は差別的な表現に見合うだけの、具体性、実証性を持っているとは言えないと思います。