オリコン→アマおめ→メタ多様化
高度成長の時代には価値観が統一されていました。言わば、全国民がひとつのウイッシュリストを共有していたようなものです。それはある時には、冷蔵庫、洗濯機、テレビという三種の神器であり、ある時には、車(カー)、カラーテレビ、クーラーという新三種の神器でした。あるいは、オリコンというたったひとつのチャートに対する注目度が、今よりはるかに大きかったのです。
それが今は、価値観が多様化しています。「欲しいもののリスト」は世代、性別、職業、趣味等によって全く違います。ですから、チャートのような情報も多様化しています。アマおめ(アマゾンのおすすめ)は、そのひとつの究極の姿でしょう。個人ごとに違ったチャートを提示しているようなものです。
アマおめ、そして、もうひとつの究極の多様化したチャートである、Googleのページランクは、個人どころか検索語ひとつひとつを対象にしたランキングやウィッシュリストを見せています。これ以上、細かい市場分けはありません。しかし、これは終着点ではありません。
どういうことかと言うと、アマゾンとGoogleの共通点として、価値観の対象となるものは多様化しているが、価値観を作り出すシステムは逆に一元化しているのです。ページランクもアマおめも、ひとつのシステム、ひとつのプログラムが全てのユーザに対応しています。そのシステムに入力されるデータは個人ごとに違い、従って個人ごとに違うリストが作成されるのですが、そのロジックはひとつであり、一元化しているのです。
「一元化されたシステムが多様なランキングを作る」という現在の状況が、Google八分を含むさまざまな問題を必然的に招く、私はそういう仮説を考えています。以下にそれを書きます。
Google八分が実際に起きているか確証はありませんが、IPOの直前のこの時期に、そういうことが起きてしまうのはワキが甘いと、私は最初、そう思いました。でも、よく考えるとそれは違います。この時期だからこそそれが起こるのです。
今、IPOに向けて、Google社という会社にに資本が集まりつつあります。つまり資本の意志というものから有形無形の影響を受けるようになっているのです。それによってGoogleは変質しているのであり、「八分」は資本の意志の反映であるということでしょう。
また、Googleがページランクのアルゴリズムを完全に公開してしまえば、このような嫌疑をかけられることもなくスッキリするのにな、とも思いましたが、それも不可能なのだと思います。ページランクは、現在、世界で最も多くの富を生む鉱脈なんです。それを公開してしまえば、それに多くの資本が取り憑いて来るでしょう。それは、合法、非合法とりまぜた、さまざまなSEOのテクニックとして、Googleのランキングの公正さに干渉してきます。これは外部からの圧力ですが、資本の意志という点では同じです。
資本の意志は、Google社やGoogleというシステムの長期的な価値には興味がありません。実際、「八分」的な不透明性は、それを大きく損なうでしょう。場合によっては、それによってGoogle社は現在の独占的な地位を失い、別の覇者に今の地位を譲るかもしれません。しかし、資本にとってはそれはどうでもいいことです。資本は瞬間的な資産価値を高くして、うまく売り抜ければいいのです。その後は、Googleの次に「八分」抜きで覇者となった次の会社に取り憑いて、その会社のシステムの公正さを損ない、そして同じことが繰り返されるのです。
これは、「ランキングが多様化しているがランキング作成システムが一元化している」という今の状況が続く限り、必然的に起きることです。常に資本の意志は、そのように対応するのです。
高度成長の時代には、資本の意志はランキングの対象物、家電とか車に取り憑いて、それを操作していました。それは、取り憑いたものの商品価値や、会社の価値を損なうことはなく、むしろ競争力を強化する方向に作用しました。
しかし、ランキングの対象物が 多様化してバラバラになってしまうと、資本の意志は、ランキング作成システムに取り憑くしかありません。この場合は、それが商品の価値を損ない、食いつぶしてしまう方向に作用します。
ですから、検索エンジンを巡る競争の状況は、本質的な不安定さがあります。覇者は資本を集め、資本の意志の影響を受けます。しかしその結果、独占企業は、常に資本の意志から、自分の競争力を無くする方向の圧力を受けるのです。その結果、競合する企業に負けて地位を失います。そして、次の勝者にも同じ運命が待っている。
アマおめも、アマゾンの取り扱い商品が増えるにつれて、同様の影響力を持つようになるでしょう。ですから、いずれ全く同じ運命をたどると思います。つまり、内部と外部、両方からその公平性を損なうような圧力を受け、だんだんと特定の商品に偏ったリストを提示するようになり、ユーザの不信を買いシェアを失う。
ギーク(技術者)は、これを良しとせず抵抗するでしょう。中にはそこで資本の意志をはねかえし、自分の理想と会社の長期的な価値を守ることに成功する人もいるかもしれません。しかし、抵抗に成功すればするほど、その会社は、より大きな成功を収め、より多くの資本の注目を集め、より強力な資本の意志に晒されるわけです。
私が「資本の意志」と呼んでいるものは、表面的にはスーツ(経営者)の意志ですが、彼らは資本家の「手段はいいから自分のお金を増やした」という意志を代弁しているのであって、それに従わなければ代わりの代理人を送られてしまうだけのことです。お金はたくさん集まると常にそういう風に働くものだと思います。それを私は「資本の意志」と呼んでいます。ギークの敵はスーツではなくて「資本の意志」です。特定のタイプ、特定の層の人間を相手にしているわけではないのです。
これは、人力でダムの水をせきとめるようなもので、最終的には敗北が決まっている戦いなのです。ギークたちは、抵抗することはできますが、抵抗すればするほど最後の決壊が大きなものになるだけです。
そして、その決壊のたびに、世界は大きな衝撃に襲われ、それは世界を疲弊させることでしょう。
ですから、いつか我々は、メタ多様化、すなわち、ランキング作成システム、価値観作成システムの方を多様化しなくてはなりません。つまり各自が、独自のシステムによって「おすすめ」を得るようにならなくてはなりません。それは、具体的に言うならば、連携する無数のブログのようなものになると思います。つまり、たくさんの人手をかけて運用するようなシステムにならざるを得ないでしょう。