不合理な人を不合理と呼ぶの禁止

「別の合理性を追及している」と考えた方が実りが多いですね。

例えば「優秀な人」のいる会社とかも予定調和的一貫性保全を最大の価値とみなしていると仮定すれば、行動を合理的に説明できるかもしれません。情報の自爆テロもそうかな。

そういう枠組みを使うと、ある行動が期待される結果を生まなかった場合に、その行動を強化するフィードバックがあるか、逆のフィードバックがあるか、という点を抽象的に考えることができます。

この日記で悪口を言われているものはだいたい前者で、この日記で褒められているものは後者になるような気がします。

前者の系統は、破綻するまでおかしな行動に突っ走る傾向があるわけです。途中下車ができない運命にある。これぞ「カルトの一般破綻理論」。

価値体系と社会との関係は、そういう破綻に向かう傾向の有無で違ってきます。破綻に向かうような価値体系(を持つ団体)は社会によって監視されなければならない。それ以外は、誰が何をどう信じようが自由。