心の現実に正当なる位置を与えよう ファンタジーの復権について


大切なのは、フラットになること。過剰に攻撃して相手を貶めるのではなく、真の意味で平等になるためにどうしたらいいかを、じっくりと考えることではないだろうか。


自分の心のファンタジーを「心の現実」だとして尊重し、敬意を払うことができれば、他者の「心の現実」も尊重できるはずだ。

この文章は私が否定的にしか語れないことを、プラスの価値として語っているように思います。素晴しい文章だと思います。

ネタ元の「ファンタジー」あれこれにある、さまざまな意見も素晴しい。特に「現実世界と幻想世界の往復運動」をキーに、本来の意味での科学とファンタジーに共通点を見いだし、「科学万能主義」や「神秘主義」といったイデオロギー(主義)と対比する松永洋介さんの洞察には目を見はる思いです。(エンデが言ってたことなの?)

ただ一点だけ、寮美千子さんの「一万年の旅路」の真贋についての見解には反対です。ルサンチマンから生まれた「過剰な攻撃」「裏返しの権力志向」には、それ独自の匂いがあると思います。もし、これが寮さんの言うように、簡単に見破れないほど過剰に理論武装した「妄想の産物」であるならば、その解消されてないルサンチマンがビリビリとしてくるはずです。

そういうルサンチマンと「大いなる幻影の中に人を包みこみ、癒す、地母神のような包容力」がひとりの人間の中に同居し得るものかどうか、それを検討すること無しに「捏造」と決めつけてはいけないと思います。もちろん、客観的な証拠無しに「真実」と決めつけることもおかしいですが、「捏造」の影にどのようなドラマと人間像があるかを納得できないまま、「捏造」と決めつけるのは「心の現実」を無視していることになるのではないでしょうか。

真面目に検討すれば現実であるとも幻想であるとも結論づけられない。あまりにも宙ぶらりんで、見なかったことにしたいけど、無視するには重大です。私は、こういうものは神が与えた試練であって、どうしたらいいからわからないけど逃げてはいけない、とにかく直面してなるべく自分に嘘をつかずただ耐えるべきものだと思っています。