予定調和的一貫性と無自覚的暴力

朝日新聞とTBSの捏造報道には共通するひとつの構図があります。まず、これをやっている人たちは単純な利己的な動機だけでやってない、むしろ、歪んでいるかもしれないけど、主観的には正義感に基づいてやっているように思えます。おそらく、こういう捏造の主謀者たちの本音としては、「やり方は間違っていたかもしれないが、自分たちの方向は正しい」あるいは「これが大多数の国民の望んでいることだ」というような信念があるように見えます。

一方で、これらはとんでもない暴力です。朝日新聞の場合は、直接的に拉致被害者という弱者に対しての暴力です。TBSの陰謀は、石原慎太郎という権力者に向かっていますが、彼らの第一目的は、世論を北朝鮮に対する融和的政策に向けたいということだと思います。石原氏は、その目的の障害として陰謀のターゲットになったということではないでしょうか。

そういう非合法な世論操作を行なうにあたって、彼らは、拉致被害者はもとより北朝鮮で苦しんでいる人のことをどれだけ考えているのか。もちろん、一方的な圧力が北朝鮮の人々を苦しめるという判断はあり得ます。どちらがいいのかは、かなり高度な政治的な難問です。ただ、日本の政策が北朝鮮の人々にどういう影響を与えるのか、彼らの命と人権にかかわる問題を真剣に悩みぬいて、そういう陰謀をやっている気はしません。その無関心さは暴力的だと思います。

また、戦略性やリスク管理がないことも特徴的です。動機はどうあれ、報道機関が嘘を言うというのはバレたら致命的なことです。ですから、本来は、世論を誘導する為にも自分たちの保身の為にも、こういうことはよほど慎重にやるべきです。ゴルゴ13を1ダースくらいリザーブしておくくらいの準備があってもいいことです。

ところが、疑いをかけられた時の備えが全くないのです。非常に場当り的な言い訳に終始している。

その一種の無邪気さは不気味だと思います。想像すると、自分たちのやっていることは長期的には国民に支持されると信じているから、無邪気に暴力的なことができるような気がする。この点がアメリカの自覚的な暴力と対照的です。アメリカ人は、力を背景にしなければ自分たちは支持されないという自覚あるいは被害妄想があって、意識的に力を選択し、意識的に暴力を選択しているように思えますが、日本人は、何をやっても最終的に自分たちが支持されると思いこんで、無意識的に暴力を行なう。

この無邪気で自滅的な暴力は、大東亜共栄圏という幻想だけをベースに、確たる戦略もなしに開戦した太平洋戦争に通じるものがあるように思えます。だから、日本にとって非常に重要なことだと思います。何か日本人の潜在意識に関係する重大な問題を含んでいる。単純に他人事としてすましていい問題ではないと思います。

いや、むしろ、この構図は多くの日本人にとって平然と暴力的になる唯一のケースかもしれません。そういう時、日本人はあるものを守ろうとして暴力的になるのですが、私はそれを抽象的に言うなら「予定調和的一貫性」という言葉がふさわしいと思います。予定調和的一貫性という幻想の中での無自覚的暴力、それさえなければ、日本人は争いごとを好まない平和的な民族なのです。予定調和的一貫性という幻想を守る時だけ、我々は思いやりを失なってしまうのではないか。

企業の不祥事にも、暴力性と被害者への思いやりの無さと戦略性の無さがだいたい共通して見られますが、そうやって加害者が守ろうとしているものは、ブランドイメージという予定調和的一貫性ではないでしょうか。

私は、多くの若者が根深い無力感を持っていることを感じるのですが、彼らが絶対的に動かせないと思っているものも予定調和的一貫性という言葉でくくれるような気がします。これに逆らうと無慈悲な暴力で復讐されるので、おとなしくしてた方がいい、無力感の中にはそんな本音を感じます。