やりたいことだけして生きる
今日のテレビ将棋で面白い場面を見ました。中盤の形勢互角の局面から見はじめたのですが、ちょうど、そこから局面が大きく動きました。
まず、鈴木大介八段が角で飛車の行き場をふさぐ好手を見せて、中原誠永世十段の攻めを封じこめそうになりました。普通なら完封負けの恐怖が頭をよぎり、どうしてもジタバタしてしまう所ですが、中原永世十段は泰然自若と端歩を突き捨て王から遠い方の端歩を成りこんでいます。要するにどうということのない手を指しています。鈴木八段は、これにつられるかのようにのんびりと守りを固める手を打ちますが、これが大悪手で一挙に攻めこまれてしまいました。そこからは、緊迫した攻防が続いて、鈴木八段もかなり盛り返したようですが、結局、スキを見逃さなかった中原永世十段がそのまま勝ちきりました。
棋譜だけ見たら、鈴木八段が悪手で自分の好手を台無しにして自滅しただけの話ですが、私には、この悪手を誘い出したのが中原永世十段の悠然とした態度のように思えました。構え合って火花が散りそうな緊迫した場面で、相手がふっと息を吐いたのにつられて自分も息を吐いたら、そこに隙ができて一瞬で切りこまれたような感じです。あるいは、戦闘の真っ最中に空を見上げて「今日はいい天気だなあ」というような感じです。
勝負所でそれができる所が中原自然流の強さだと思いますが、それがよくあらわれた将棋でした。こういう盤外の空気を使ったような勝負術を意識して使うのが大山と羽生で、天然でできてしまうのが中原永世十段ではないかと思います。度胸や気合ではなくて、勝負に執着してないからできることなんでしょう。
中原永世十段の将棋は「自分の指したい手だけを指して勝つ」という感じで、負けた方は「何が悪くてどこで負けたのかわからない」という将棋になることが多いように感じます。究極のワガママなんですが、ワガママもあそこまで行くとひとつの芸にあるし、強さになる。カルマもトラウマも因縁も怨恨も生まないんですね。
私は、無反省な中高年に怒りまくっているので、無反省な人間を全部否定的に見てしまう癖がついているのですが、今日ばかりは良性の無反省があるのかなあと思わされました。人生に執着しないでやるべきことを淡々とやる生き方は、ちょっと見習いたいです。