ドリームアップされる「ひきこまれ」たち

Freezing Pointのコメント欄における、ueyamakzkさんとkagamiの果てしない議論はすれちがいのまま終わったようです。(終わってないかも?)

もし、「どちらにつくか」と言われたら、私は完全にueyamakzkさんです。ueyamakzkさんの書くことや姿勢には、この議論に限らず私としてはほとんど共感できるものです。kagamiさんがueyamakzkさんや斎藤環さんを批判するロジックは、正直言って本当によくわかりません。かと言ってkagamiさんの言うことがおかしいと一方的に切り捨てる気にはなれず、ズルズル毎晩細かい字を追いかけていました。何か引っかかってしまうんですね。

その引っかかりについて考えていてミンデルの「ドリームアップ」という概念を思い出しました。ドリームアップとは、ある個人の内面深くの葛藤が、身近な人に投影されてその人がその葛藤を「生きてしまう」という現象です。シンクロニシティと同じようなトンデモと紙一重の概念です。

もしこれがドリームアップだとしたら、kagamiさんとueyamakzkさんの間の深い亀裂は、多くのひきこもりの人が内面にかかえている葛藤だということになります。どちらかが、ひきこもりの人の内面から乖離していたらこうならないので和解していたのかもしれません。どっちも真摯だし、頭でっかちの議論でなく、自分の体験から出た主張だから着地点が見つからないのです。また、どちらもひきこもりの人の立場に近づこうとしているから譲れないんだと思います。

ひきこもりの人が、この議論の内容を日記に書いたり自問自答して考えているわけではありません。ひきこもりの人の心の中で、この二人の対立点が言語化されないまま、ただ存在しているのです。そして、彼らを支援する人は、その対立、葛藤、矛盾に体ごと巻きこまれてしまうのです。

jam_ojisanという人が、「カルテ前」「カルテ後」という概念を使って、二人の立場の違いを明確にして、和解、統合に至る道筋を提案していました。それに対してueyamakzkさんが「どちらかの関係者の方ですか?」と問いかけています。これは完全に私の想像ですが、jam_ojisanさんの見事なさばき方の背後にドリームアップへの「巻きこまれ」体験があると、ueyamakzkさんが直観したような気がします。

単に頭のいい人なのかもしれませんが、体験から来る知恵を持った人ではないかと私も感じました。ひきこもりのドリームアップに巻きこまれて、そこから一緒に抜け出した「ひきこまれ」経験者ではないかと。

葛藤っていうのは、自分が真っ二つに割れて対立しているんで、どちらが正しいか決着をつけても解決にはなりません。勝負がついてしまったら、必ず負けた方が本当の自分なんです。無理に決着をつけることは、決して「支援」とは言わないでしょう。強力なドリームアップ光線に身をさらす覚悟が必要なのだと思います。

余談ですが、そういう「ひきこまれ」志望者には公的資金を投入すべきだと私は思います。