天皇のプレッツェル
イラク戦争の時のブッシュの演説を聞いていて「かっこいいなあ」と思ったことが何度もあります。「いかんいかん」と思うのですが、かっこいいものはかっこいい。「本来は望む戦いではないが、こうなってしまってはしかたない。私はしりぞくことはせず戦う」という静かで断固とした決意がシンプルな言葉で語られていました。
ハリソン・フォードがテロリストと戦う大統領の役を演じた映画がありましたが、ああいう映画に出てくる「かっこいい大統領」の類型によく似ています。ブッシュの演説はプロの演じる大統領と甲乙つげかたいレベルだと思います。狭義のかっこよさではさすがにハリソン・フォードにわずかに劣りますが、ブッシュにはそれを補うだけの「リアリティ」がある。どちらもアメリカ人の心の中にある「大人」のシンボルを体現化する商売ですから、この場合、どちらがプロでどちらがアマチュアなのかよくわかりませんが。
ただ、ハリソン・フォードは撮影が終わったら豪邸の奥にひっこむことができますが、ブッシュの方は24時間営業です。その分だけ、厳しいものがあると思います。だから、プレッツェルを喉につまらせるなんていう、フロイトが生きてたら手を叩いて喜びそうなことをしでかす。いつもいつも沈着冷静な「大人」をやっているので、影の部分が吹き出してくるんですね。そう言えば、パパブッシュも日本に来た時、晩餐会で気持ち悪くなってゲーゲーというかなりカッコ悪いことをしてます。
でも、こういう影の部分をある程度晒せる人格の方が健全な人格ですね。
日本では、国民の心の中の「大人」の象徴は天皇の仕事です。憲法でそんな仕事を決められてしまうあの方も、さぞかし大変だと思います。いや、どうなんだろ。素でやっててああなるのかもしれない。私はあの方よりだいぶ育ちが悪いんで、よくわかりません。
天皇にとって「プレッツェル」に相当する「大人」じゃない部分が吹き出した事件が、あるのかないのかそれはわからない。でも、そういう失態があったとしても日本では、なかなか外に出てこないのではないかと思います。例えば、天皇家の日常生活が時々テレビ紹介されますが、パソコンやネットをやっているのかどうかは不明ですよね。
雅子様だったら、あなたや私よりずっとうまくパソコンを使いこなしていても不思議ではないかと思いますが、宮内庁御用達サイトのリンク集なんっていうのは見たことがない。カステラや果物と違って、こういうものには「大人」の選択肢が無いんでしょうね。どういうサイトを選んでも「大人」のイメージに合わない。そういう「象徴」からはずれた「プレッツェル」的なことは、全部隠蔽されているのだと思います。そしてそれは、天皇家や宮内庁の意思ではなく、国民がそういうことを望んでいるのだと思います。
日本で「大人」のイメージが固すぎて狭すぎるのは、そういう事情なのかもしれません。でも最近は、「ひろゆき」という「ひろひと」の影の部分を受け持つ人がいるので、アメリカよりトータルで健全な表現のある国になったと思うこともありますが。