個性という呪い、個性という不良債権

おとなの小論文教室 で「学者くずれ」とか、「作家くずれ」という時の「くずれ」を体現した人のことが書かれていました。

Xさんという人と仕事で打合せをした所、「瑣末な部分」に独特の変なこだわりを見せて話が進まない。こだわったかと思うと急に話が飛んだりして、全く結論が出ない。そういう状態がずっと続いてしまったそうです。表面的にはただの変なつきあいにくい人のようですが、


私は、Xさんの発する、ねじ曲がった磁場のようなものに、からめとられて、一向に会話の出口を見出せず、

という表現を見て、私にはピンと来るものがありました。これに該当する人物にものすごく心当りがあるのです。そういう人物を見たことが無い人には、ピンとこないかもしれませんが、そういうタイプはロジックは無茶苦茶なのになぜか人を巻きこむ力が強い。だから相手のペースに巻きこまれてしまうんですね。

実はそれは私のことです。私のことを書かれているような気がしました。

私の書く文章は、ほとんどが複数のジャンルにまたがった話になります。カテゴリに収まらない話なので「圏外から」なのです。意識してやってるわけではありません。私の頭の中はすごくこんがらがっているのです。私の頭の中はこの日記を数十倍に濃縮したような混沌です。それを一生懸命ときほぐして、やっとこれくらいの人に見せられるレベルのこんがらがり具合になっているのです。

この日記の発する「ねじ曲がった磁場のようなものに、からめとられて」いる人がどれくらいいるのかわかりませんが、そんなことは知ったことじゃありません。あなたが好きで読んでいるんだから、あなたの責任でしょ。

でも、リアルで会う人にはそれは言えません。私はこの磁場を発するエネルギーを会う人に放射しないように気をつけています。その点は、先の文章のXさんと違うと自分では思っています。でも、もしかしたら自分の努力は意味なく全部漏れてて、人から見たら同じことかもしれません。あるいはそのXさんも、同じように自分では磁場を軽減する努力をしてて、そのおかげであれくらいのハタ迷惑ですんでる、ということなのかもしれません。

いずれにせよ、そのエネルギーに対抗するのは大変なことです。実は、この日記もそのエネルギーを逃がす為に書いています。実際、これを書くようになってからかなり楽になった気もします。それを書くまでは


ただ、磁力のように、強い「想い」だけが真ん中にあって、

それをどう処理したらいいのかわかりませんでした。

これを何かのかたちで表現すれば「資産」になります。この日記に書いた私の文章は私の「資産」だと思っています。「資産」の形にできれば、たくさんの人に読んでもらえて、さらに情報が集まったりいろいろお得なことがあります。

しかし、この「想い」は流さないと腐ってきます。表現するまでは「負債」です。出し口を与えてやらないと、同じことが日常生活の中で突発的に出てきます。それが、言動にさまざまな歪をもたらします。すごく苦しいものでまさしく「負債」です。私は借金取りに追われるように日記を書いています。しかも、早く出さないと利息がついて、表現してもおさまらないくらい「想い」が増殖してしまいます。

なぜそんな面倒なものをかかえているのかと言うと、その「想い」が私の「個性」なんです。捨てられるものなら捨てたいですが、これは切り離せるものではないと、私は思います。「個性を伸ばす教育」とかお気楽なことを言いますが、「個性」というのは呪いです。不良債権のようにやっかいなものです。

あなたはそれが欲しいと思いますか?

欲しくはないでしょう。でも残念ながら、あなたも知らないうちに「個性」という「不良債権」をかかえているのです。確かな証拠はありませんが、誰もがそれをかかえていると私はにらんでいます。(関連記事 俺のドリームボディー体験)