機動性のもたらす未来

t e x t i l e c o c o o n: 未来は嫌い?にこんな言葉があった。


おそらく blog は web の可能性ではなく機動性を高めたのだ。

全く同感、というかうまいこと言うなあ。

そして、この人が東浩紀論もやっていて、俺が漠然と感じていてうまく表現できなかったことがバッチリ書いてある。


東氏がよく環境管理型権力の例に出す、客の回転率を上げているマクドナルドの椅子の固さについても、メニューや店舗構造の成り立ちを「コンセプト」として公開すれば、個人はそれを主体的に選択することができる。いつまでも情報公開を渋る企業は、オープンソース/ベースに価値をおく大衆にゆっくりと淘汰されていけばいい。

さらに、単に公開するだけでなく、メニューや椅子に関する意思決定をユーザコミュニティにまかせてしまえばいい。つまり、企業とは「コンセプト」を練るための「場」を提供するだけの存在になり、その「場」の中で議論して意思決定するのはユーザコミュニティになる。

企業自身もそのコミュニティの一員として参加してもよいが、ハンバーガーの好きな一社員が個人として参加しなければはじかれる。ハンバーガーに対するウンチクや情熱があれば議論をリードすることもできるが、そうでなければ、単なる一メンバー以上の影響力を持つことはできない。

これ以外の方法でコミュニティを動かそうとすれば、コミュニティが「自分たちのマクド」を立ちあげてしまう。だから、マクドナルドとしてはコミュニティのメンバーから自然に尊敬され一目おかれるだけの情報と見識を持ったハンバーガーオタクを雇わざるを得ないし、そのような社員に一定の発言力を与えざるを得ない。

このようなかたちで、企業にもユーザコミュニティにも個人が「主体的」に参加できれば、「社会の回復」への道も自然と見えてくるのではないかと思う。また、開かれたコミュニティに主導される企業は、自然と公共性と利益の両立ができるのではないだろうか。

なんてことを考えていたら、Blogを使って新聞の記事をデバックするという話がありました。