たまには普通に東浩紀を要約してみよう

利用者なら経験があると思うが、アマゾンの「おすすめ」はなかなかツボを突いてくる。

例えば俺はアマゾンでミンデルを買ったので「カスタネダはいかが?」と言われた。ミンデルは心理学者でカスタネダは人類学者だ。ジャンルが全然違うが、実は深い所でつながっている。ミンデルはカスタネダをよく引用しているが、あの人は博識だから他にもいろんなものを引用する。ミンデルの理論の中でカスタネダの占める位置が大きいことは、よく読みこまなければわからない。

現実に誰かに「ミンデルが好きです」と言っていきなり「じゃあカスタネダは?」と言われたら、俺は「ヌヌヌ、おぬしやるな」と思うだろう。もちろん、アマゾンにミンデルがわかるそういう奴がいるわけではない。アマゾンは俺にとっての「おぬしやるな」的人間を選んで、その人の過去の購買履歴を使って、「おすすめ」を出してくるわけだ。「おぬしやるな」的人間の選択もそれほど複雑なロジックが必要なわけではない。要するにあまり人が買わない変な本をキーにしてマッチさせればよいのだろう。

俺は「カスタネダはいかが?」を見た瞬間にそこまで見ぬいて、データベースの形式を何とおりか想像し、どれがパフォーマンスとスケーラビリティに優れているか比較した。そういう一流技術者の俺が「動物化」と言われる。それはこういうことだ。

俺の場合、本の「おすすめ」はツボだが、CDでは全然趣味にないものが出てくる。なぜかと言うと、過去に子供のものやカミさんのものを買っているからだ。そのために全然自分の趣味と違う購買履歴があって、それからピントのずれたおすすめを出してくる。(しかもうちの家族は趣味が悪い-これナイショ-ので自然とおすすめの趣味も悪くなる)。これを見て、子供とカミさんのアカウントを別に作ろうかな?と考えた。そうすれば、CDのおすすめも自分の趣味にあってくるからだ。

これが悪魔の誘いである。何も強制されてないのに、むこうの思うツボにはまる。仕組みがプログラムのレベルまで見えていても、躍らされてしまう。子供とカミさんのアカウントを作れば、家族ひとりひとりの購買履歴を細かく握られる。自ら進んで罠にはまっていく。そのように誘導されているわけだ。

東浩紀は、これは新しいかたちの権力だと言う。家畜を電気冊で管理するのと同じで、テクノロジーで人間を管理している仕組みだと言う。昔の権力は、ヒトラーを尊敬しろなどと言ったりして、人の思想にケチをつけた。思想を支配して人の行動を縛る。これは人を人間として見て、人間として管理している。今の権力は、人を動物と見て、思想に触れずにその行動のみを管理する。支配されたと気づかれないで支配する。この新旧の違いを強調するために「動物化」と言っているようだ。実際にミンデルは見方によっては危険な思想であるが、それには誰もケチをつけない。ひたすら購買履歴を蓄積し、喜んで個人情報を提供させる。これが新しいタイプの支配であり、それによって何かが失われていることに気づけと東浩紀は言っている。

このような分析は、そこそこ頭が良ければ誰にでもできるような気がするが、彼が言う「支配」という感覚が、彼にとっては単に思想上の問題でなく、日々生きる中での切実な問題である所が、東浩紀の魅力であると思う。