「スカラー波」と「オープンソース」

俺は「オープンソースの定義」の意義で言ってるのが当然のことだと思っていて、これが議論になるとは意外だった。だから、何が論点なのか把握してないけど、あたりまえのことだけ言っておく。

オープンソースは実際やってみるとすごく難しい問題がいろいろあって、それについてさんざん悩んだ人が作ったのがオープンソースの定義である。これが絶対唯一の解ではないけど、これに逆らうならそれなりの覚悟がいるのは当然。「OSDのここがだめ」と理由がはっきり言えて、それがOSDができるまでに議論された内容の上を行くか、その時に全く想定されてない問題を提示できてなければ、俺定義は許されん。それが嫌なら別の言葉を使えっていうのが、普通の発想だと思うけどなあ。

重要なのは、「オープンソース」は理系的な概念であると言うことだ。重力や微分について俺定義が出回ったら困ると思う。きちっと組みあがったロジックとその理由があってこうなっている言葉だ。自由とか民主みたいな文系的な概念だったら、俺定義に寛容であってもかえってそこから議論が広がったりするからいいんだけど、理系的な概念だったら、理由を示さなきゃ変えちゃだめです。たとえ、外野の人が使ったとしても、「オープンソース」の俺定義は具体的に開発プロセスの邪魔になると思うよ。(そもそも、だからOSDが今のようになっているのだと思う)

スカラー波」の俺定義(私定義?)だって、あれをそのまま使う人が増えたら放置しておけんでしょ。