「ここはひどいインターネット」を強いられる「場」ですね

2ちゃんねるでは参加者が好き勝手をしているように見える。だが、日本人というのは、「場」というものに敏感であって、その本能は簡単に捨てられるものではない。大半の参加者は、その「場」を感じてそこに合わせようとしている。

2ちゃんねるは「ここはひどいインターネット」が許される場ではなくて、「ここはひどいインターネット」を強いられる場なのである。「ここはひどいインターネット」でないものは拒否され、誰もがその暗黙の「場」の圧力を感じて、自分をそこに合わせるか逃げてしまう。本質的には、リアルで行なわれていることと同じだ。

そして、その強いられるコミュニケーションのスタイルは多面的で効率的なものなのであり、リアルにおけるコミュニケーションを補完する性質を持っている。それが2ちゃんねるが成功した理由である。

日本では、学問的なディベートが許されるような「場」はそこにしかない。2ちゃんねるには、ディベートに負ける道がいろいろ用意されている。悪態をついてもいいし、馬鹿のフリをしてもよいし、自作自演で論点をずらした第三者となり乱入してもよい。荒らしをしてもいいし、単に消えてしまってもよい。さらにさまざまなオプションが日夜発明され続けている。

実世界でディベートに負けると、日本ではそれは自分ひとりの問題ではなく、自分の属する共同体の恥とみなされるので、基本的に負けることは許されない。負けない為の準備のコストがかからないから、2ちゃんねるでのディベートは効率的だ。ストレートな論理のやりとりだけで終わる。

共同体から切り離されたくない人間が匿名になると、ディベートに限らず、あらゆる面で発言できることの幅が広がるのである。そのような「場」のルールが創造され、みんながその「場」の暗黙のルールに従っているのである。これは「場」の暗黙のルールに敏感な日本人だけが使いこなせるシステムなのかもしれない。