JOY VS りそな コストがかかるのはどっち?

「しつけの悪さを注意され逆ギレし殴ったDQN親」のまとめより。


いくら親のしつけが悪いと思ってもサービス業に就いている限り、心で思うのは勝手ですが絶対に口に出すものではないと思います。一円でもお店に利益をもたらした時点で私たちはお客様です。もちろん太郎(仮名)たちのような小さい子でもお客様であることに変わりないと思います。たとえ従業員同士でこっそり言っていても私たちの耳に入った以上、なかったことにすることは出来ません。しかも2歳前後の子供にどうしつけをすれば走り回ったりせずおとなしく席についていることの出来る子供に育つのでしょうか?ケンカっ早い私たちに向けてそういう言葉を発した彼には気の毒かもしれませんが、殴られて当然だと思います。親に向かって最大の侮辱だと思いました。ひょっとしたらほかの解決法もあったかもしれませんがマナーを破った相手の人に対して謝罪の言葉だけで許すことはとてもムリでした。

間違っているとはいえ、主語の明確なひとつの見解である。アズマやミヤダイのレベルからは相当落ちるが、一種のそもそも系倫理学の試みかもしれない。

こういう人が増えることで、社会が負担するコストは跳ねあがるだろう。本人の教育、子供の再教育、治安の悪化に対応するための警察の強化。「常識」が通じないことによる、コミュニケーションコストの増大。こういう人に対応するための対策が、ファミレスだけでなくいろんな所で必要になる。

でも全部まとめても、20兆円はかからないと思う。基本的にはツッコミに反応する人だから。ふてくされ顔が目に浮かぶようなものとはいえ、謝罪する人だから。祭られたことの恐怖をちゃんと感じられる人だから。全般的に比較的英訳しやすい言葉をしゃべる人だから、俺には説得できるような気がするが、もしできなければ脅せばよい。コストをかければかけただけの効果は出ると思う。

不良債権残高、なお20兆円のようなニュースを見ると、このような人たちのためにかかるコストの総額はいくらになるのか不安になる。主語がない言葉をしゃべり、ツッコミに反応せず、謝罪はせず、恐怖心も感じない。

特に、こういう人たちには恐怖心が見えてこない所が不気味。りそなの会見でも「監査法人の裏切りだ!」という本音が見えていたのはいいとして、裏切られて自分がこれからどうなるのか?ということに対する想像力が全く感じられない。

想像力がゼロの人間には、説得もできないし、脅しもきかない。どれだけコストをかけても、我々の税金を無限に吸いこみ続けるのは、やっぱりこっちの方だ。

だいたい悪い奴って自分が使える分しか取らないから限りがある。悪さのレベルによって相当な違いがあるが、どんなに大きくても人間に使える額は有限である。

勤勉な奴は自分が使うんじゃないから、無限に金を取っていく。俺にはこっちの方が恐い。我々の倫理の体系には、こういう奴の処理の仕方が含まれてないのではないか?