無題

名著と呼ばれるような書物は「何度読んでも読むたびに新しい発見がある」と言われ、実際そうする奴もたくさんいた。俺だって「ダンスダンスダンス」と「脱走と追跡のサンバ」と「イクストランへの旅」はそれぞれ5回づつ読んでいる。他にも何度も読んだ本はたくさんある。

しかし、名スレと呼ばれるスレッドを繰り返し繰り返し精読したことはまだない。たとえするとしても「○○必死だな(藁」というような1行レスのすみずみまでじっくり味わって読もうとは思わないだろう。

「おまえにはまだ『ねじまき鳥』の本質がわかってない」と言われたら、あれをもう一度読むことにはやぶさかではないが、たとえどのような名スレであろうとも「最も頭の働く朝の一番いい時間に正座してじっくりと味わいながら読むこと」等とは言われたくない。だいたい、裁判でもなければスレッドをプリントアウトすることもないだろう。

誰よりも匿名掲示板を愛する俺でさえこのありさまだから、たいていの人はもっともっと読み飛ばしをしながら匿名掲示板を見ているに違いない。

ということは、誰かとあるスレッドについて議論しようとした場合に、意見の違いが本当に見解の相違なのか、単に着目するレスの違いなのかが問題となる。俺が読みとばした一行レスに重大な意味があって、彼の議論が理解できないのかもしれない。

ましてや、2ちゃんねる全体について公益性がどうのこうの言っている時、俺たちは何も見て何について議論しているのだろうか?その議論にどのような意味があるのだろうか?

「おまえにはまだ匿名掲示板の本質がわかってない」と言われたら、俺は何をしたらよいのだろうか?