地獄の釜をもっともっと熱くするんだ

「私は食事が食べる(A)」は間違い。「私は食事を召しあがる(B)」も間違い。では「先生、メシを食いますか(C)」はどうだろう?

(C)は「私」と「先生」の関係によっては成り立つ表現だ。「先生」が初めて会った本当に偉い「先生」だったらこれはかなりまずいけど、その人が恩師で非常に親しくしていて長いつきあいだったりしたら、こういう言い方も自然だ。つまり、日本語では自分と相手の関係を規定しないと、正確さを判定できない表現が多い。では、(B)は敬語にかかわる間違いなのに、なぜ文脈なしで×がつけられるのか?

それは主語が「私」だから。「私」は常に謙譲語で受ける。どういう人間関係の中にあろうがとりあえずオトシめておけば問題ない。そして、このような対人関係に関するルールは、 (A)のような文法的な間違いと同じレベルで日本語という言語そのものに深く刻みこまれている。

このあたりをネットでどう扱うべきかが、非常に難しい。特に、メーリングリストのような不特定多数との対話をどうしたらいいのか、まだまだ合意が取れてないと思う。メーリングリストで他人にものを尋ねるのに、どれくらいケンジョーしてどれくらい回りくどい表現を使うべきか。メーリングリストのようなメディアは、本来コミュニケーションのスピードを飛躍的にスピードアップできるメディアのはずだが、日本語を使う限り、この問題がつきまとう。「俺は*linux*でワープロしたいけど何がいい」なんて、偉そうに書かれているのを見るとどうしてもムっとしてしまう。かと言って「初心者ですが、もし御存知の方がいらっしゃったら教えていただけるとありがたいのですが」みたいな情報のない前置きもクドい。

2ちゃんねるという掲示板で起きていることは、このような観点から見ると非常に注目すべきことだと思う。あそこでは、罵倒、揶揄、茶化し、煽り、など一般社会で不道徳とされている行為があたりまえになっている。そういうのに腹をたててると「ここはそういう所なんだから、それが嫌ならやめた方がいい」と言われる。日本人にとって最も基本的な対人関係に対する配慮をいったんゼロクリアした所から、対話が始まっている。

その結果何が起きてるかと言うと、非常にスピードのある日本語が産まれつつあるのだ。つまり、ネットのスピードに見合った、前置きなしのスピーディなやりとりが可能になっている。確かに、大半の書きこみは不快感をもよおす意味のないものだ。「便所の落書き」という有名な表現が最もよくあてはまる所である。しかし中には非常に鋭い意見や深い学識を感じさせる書きこみが、ごく少数だが存在する。そういう者同士が議論を戦わせている場合には、非常に密なやりとりが行われている。もし、その両者が他の場所で出会っていたら短時間であそこまで深い議論はできないだろうと、感じさせる独特のスピード感がある。

つまり、あそこでは全く新しい日本語が産まれているのだ。そしてその言語で伝えられる情報量は英語より密だ。英語よりバイト数あたりで伝えられている情報の総量が大きいのだ。しかも、英語はスピードが高速に固定されているのに対し、「2ちゃんねる語」はスピードが可変だ。必要に応じて「日本語」のレベルまでスピードを落として、まったりすることもできる。論理だけを屹立させたシンプルな表現もできるし、微妙な情緒をこめた言い方もできるし、ひとつの文の中にそれを両立することさえ可能だ。コミュニケーションのためのツールとしては、英語より完成されているのかもしれない。

「日本がITで世界を先導する」ことを本気で夢見るならば、政府は今すぐ2ちゃんねるに投資しろ! もちろん匿名性をより強化して、あの地獄の釜をもっともっと熱くするんだ。