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カウンセラーの資格をとろうと思ったら、絶対に必要な条件がある。それは、自分自身がカウンセリングを受けることである。しかも、上級の資格になるほど条件が厳密で要求される時間も長くなる。河井隼雄氏は、ユング派の本場のスイスで修行したが、ユング療法士の資格を持った人に1年以上も分析を受けたそうで、一定の時間に達していないと、試験の受験資格さえもらえなかったそうだ。

私なりに解釈すると、無意識あるいは人の内面を扱う専門家になるには、人間がいかに自分の内部で起きていることを知らないか、ということを体験的に理解することが必須だからだと思う。例えば、ACというのは親から精神的なサポートを受けられず場合によっては虐待を受けた人たちだが、そういう人は親を憎んでいるかと言うと逆に「うちの親は偉い人です」とか言うことが多いようだ。親を憎む人もいることはいるが、どちらかと言うとそれは程度の軽い人で、「親を憎む自由だけは与えられていた」などと言う。

今、「続・科学の終焉」という本を読んでいるのだが、心理学の専門家の中にもそういうことを解ってない連中が予想以上に多くて驚いた。そして考えたのは、ガリレオニュートンのことで、彼らが力学の基礎となる理論を産みだした時には、膨大な天文学の観測の結果と微積分の基礎となる数学が蓄積されていた。それがなければ、いかにニュートンが天才だとしても、万有引力の法則を発見することはなかっただろう。

クスリのききめを学問的に確認するダブルブラインドテストという試験があるが、簡単に言うと、ある病気の人を200人探してきて、くじびきで100人にその薬を与え、残りにはニセ薬を与える。医者も患者本人もどちらを飲んでいるかわからないというのがポイントだ。そして、両方のグループで直った率を統計的に判定して、薬を与えたほうのグループで直った率が一定以上多ければ、そのクスリがOKとなるのだ。精神病を直すクスリにも同様の試験があるのだが、そういうクスリでこのテストをするには、当然ながらその人がビョーキかどうか正確に判定しなくてはならない。また、実験が終ってから直ったかどうかも正確に判定しなくてはならない。その判断がいいかげんならば、出た数字をいくら統計的にいじくっても意味がない。

しかし、はっきりとした分裂病ならともかく、うつ病のように病状が微妙なものは、そういうデータをとるのは内面にかかわる作業であり、ひとすじなわではいかないはずだ。そのあたりがわからない医者や研究者がいくらクスリを探したって、見つけられるとは思えない。「続・科学の終焉」は心理学全般を含む人間の精神を扱う科学を、かたっぱしからやっつけている本だが、この本の著者も含めてどのジャンルの学者も、人間の内面を扱うことの困難がわからないまま、適当な学説をとなえている。まるで、天文学と数学がわからない奴が力学の根本法則をでっちあげてニュートンになろうとしているようなもので、「10年早い」と言わざるを得ない。

そして、この問題の難しさは、他人の内面と自分の内面が違うことだ。フロイトを知識として読むことはできる。この本の著者はフロイトも批判しているが、当然、フロイトやその後継者の学説は理解している。理論がわかれば、他人の無意識はわかるのだ。「あの行動の本当の動機はこれこれ」とかは、知識で言える。だけど、自分の内面は知識だけでは扱えない。経験が絶対必要だ。ここが解ってないと、数学ができないで理科系の学問をやろうとするのと同じで、非常に危うく、回り道が多く、しかも具体的な成果がない。

「続・科学の終焉」は、そういう意味で根本の問題意識はズレているが、やっつける相手がが幅広く、やっつけ方がコテンパンで痛快で、それはそれで面白い本だった。