読書ノート:「日本の大チャンス」ピーター・タスカ

ピーター・タスカは経済を市場と政治のぶつかりあいという視点で語る。例えば、インターネット書店のアマゾンドットコム。これによって、消費者は今までよりはるかに安く本を買えるようになった。単に安くなったわけではなく、そのへんの小さな本屋で買えない専門書などの特殊な本も買いやすくなった。こういうイノベーションには必ず損をする人と特をする人がいる。この場合は、損をするのは既存の書店や卸、得をするのは消費者だ。そして、損をする人は大きく損をして、得をする人は小さく得をする。ほとんどの本屋は、損をするというより、アマゾンによってつぶされるだろう。得をする人は、本屋以外で本を買う人全て。ただし、本の値段が30%下がっても、それで何百万も儲かる人はそんなにいない。300円の雑誌が200円で買えるようになるくらいのことだ。

図式化して言うと、5000万円損をする人が1000人いるかわりに、1000円得する人が1億人いる。たいていの改革はこういう結果を生む。国全体では、得が1000億、損が500億差し引き500億円の儲け。この時、損する側につくのが政治、得する側につくのが市場、というのがピーター・タスカの見方だ。アマゾンのようなインターネットでの書籍の販売を法律で禁じるという政策をかかげた政治家がいたとする。損をする1000人は必死になってこの人を押すだろう。こういうのをノイジーマイノリティ(発言する少数派)というそうだ。この人の対立候補は、おそらくこれを争点にして、絶対こんな法律を許してはいけないと言って、残りの1億人の支持を集めようとする。しかし、1億人どころか10人の支持も集まらない。他の人にとってはそれは、1000円の問題だからだ。対立候補の方が落ちても、1000円損するだけだから、他の人はそれほど気にしない。騒がないのでおとなしくしているので、こちらはサイレントマジョリティ(声無き大衆)と呼ばれる。

今の日本も、70年代のイギリスもこういう問題がいっぱいあった。個々の問題は、1000円くらいの大したことない問題でも、1万個あれば一人当たり1000万円の損失だ。しかし、どの問題にも改革が死活問題につながる勢力があって、絶対に譲らない。相当な所まで追いつめられなければ、改革することはできない。さっきの数字をそのまま使うと、アマゾンと同じ問題が1万個あったとすると、国全体としてはひとつにつき500億損しているから500兆円の損害になる。これは国家の破産状態だ。つまり、ノイジーマイノリテイがサイレントマジョリティを食いつぶそうとしていた。イギリスは、こういう状態に追いつめられていた。著者のピーター・タスカはイギリス人でこういう時代に十代をすごしたそうだ。

ここで、サッチャーが現れ全てを変えた。こういう規制を全部とりはずしたのだ。彼女は、サイレントマジョリティ側の政策を徹底した。その結果、イギリス経済は蘇り、それから20数年持続的に成長している。98年に、イギリスの時価総額は27年ぶりに日本を超えて世界第2位になったそうだ。サッチャーレーガンの功績を語る人は多いが、ピーター・タスカはイギリス病の惨状と、27年間の成長、変化を目の当たりにしており、その実体験をベースに論じるから、説得力がある。

この本には、こういう話がわかりやすく書かれている。そして、もうひとつ面白いのが、イギリス人の著者ならでは視点である。アメリカのシステム、自由競争、グローバルスタンダード、情報公開などを指して、アングロサクソン型と呼ぶことに、著者は意義を唱えている。著者の子供の頃にイギリスは全くそんな国ではなかった。ヨーロッパの中でも政府による経済統制のキツい国で、電力、通信をはじめほとんどの分野で国営企業が非効率な運営をしていたそうだ。それを変えたのは、国民性や文化の問題ではなく、サイレント・マジョリティがノイジーマイノリティのタカリに耐え切れなくなったからに過ぎないというのだ。つまり、経済の問題、あるいは市場の圧力だと言う。

そして、こういう危機の時に、悪いことをしてきた連中が口にする言葉は決まって「文化」という言葉だ。「終身雇用は日本の文化だ。だからこれを守るべきだ」こういうことを言う人は、必ず日本の文化のためでなく、自分の既得権益の為に発言しているとピータータスカは言う。文化を否定するのではなく、「文化」という言葉を使う人間を徹底的に攻撃する。確かに、つぶれた銀行の経営者の言動を見聞きすると、文化の問題を語る資格があるとは思えない。

他にも、面白い話が多い。ドル円レートは、政治力で安定させようとするから、かえって不安定になり、さかんに乱高下する。それに対して、ドル・ポンドレートは両国が市場主義だから、政治がいじろうとしない。だから、非常に安定している。この本の中でグラフで両レートの動きが比較されているが、それを見ると一目瞭然だ。いじらなければ、市場は常にちょうどいい所へ落ち着くものだという証拠だ。政治が経済に介入するのは、ちょうどレースゲームをヘタな人がやっているようなもので、常に右へ左へゆれて、さんざん壁にぶつかる。落ち着いてアウトインアウトでいけば楽に曲がれるようなカーブで簡単にクラッシュしてしまう。

最後に、私自身の考えたことをひとつ。市場というシステムは、多数の知恵の集積だ。しかも、単なる多数決でなく、参加者それぞれの才能や知識や努力を総合した判断がひとつの数字として現れる。この数字が、いろいろなことを語り、予知し、未来を指し示すということは、この本を読むとよくわかる。では、もうひとつの「多数決でない多数の知恵の集積」である、ネットはいったい我々に何を語ってくれるのだろうか?