ユースケ・サンタマリア

夢にユースケ・サンタマリアが出てきた。私は芸能人が夢に出てくることはほとんどない。珍しいことなので、何か意味があるかもしれない。ちょっと気になった。

自分では、これはユング心理学でいうシャドウではないか、と解釈した。自分の影の一面、生きられてない隠された一面の代理人のようなものだ。なぜかと言うと、私が持つ彼のイメージは「芸能界一底の浅い人」。今の芸能界はボケ、ヨゴレの類は多くても、底の浅い人は意外に少ない。むしろ深い奴や経営感覚に優れた芸人が多い。こういうのが多いとツッコミはやりずらい。ボケが深すぎたり、逆に妙に類型的だったりする。それに対して、ユースケ・サンタマリアの言うことは、文字どおり「馬鹿」。だごそのためにかえって、ツッコミの創造性が発揮される。これはこれで貴重な人かもしれないし、本人も薄々とはこれを意識しているような気がする。そして、この開き直ったような「底の浅さ」が、自分の「生きられていない半面」であるのではないだろうか?と考えたのだ。

しかし、うちの奥さんは彼に対して全く違う見方をしていて驚いた。詳しいニュアンスは理解できなかったが、彼のことを非常に深い人でしかも今、悩んでいると言うのだ。びっくりしたが、それを言われて「眠れる森」を思い出した。あれの脚本の人も同じようなものを見ていたのかもしれない。ユースケ・サンタマリアは、親友を裏切って自殺するという非常に屈折した役を演じていた。「何でこいつがこんな役を?」と思ってみていたら、意外にアタリでうまく演じていたのにビックリした。

話は変わって、ソニーのAIBO。来年から大量生産するそうだが、読売新聞に小田原市教育委員会が2台買って、これを小学校に貸し出すという話が出ていた。それはいいことだと思うけど、1台は不登校の子供に使わせるという。AIBOで「少しでも心の世界を広げてあげたい」と言う目的だそうだ。不登校=情緒的な障害という見方自体が問題だが、それにしてもAIBOで?と思っていたら、それに続くソニーの広報部のコメントが立派なものだった。

「AIBOはあくまでもプログラムどおりに動く機械。命の教育材料としては、本物の生き物に勝るものはないので、先生方には、機械は生き物の代わりにならないことを念頭に置いて、使い方を工夫していただきたい」

AIBOは、ただの手続き的なプログラムでなく、感情なんたらのシミュレーションという意欲的なロジックを入れてあり、それが売り物のひとつ。いくら正論とは言え、そういうセールスポイントを自己否定するようなコメント。しかも、今回の販売の趣旨は、「ユーザに使い方を見つけてもらう」と部分があるので、そういう意味では、子供に使わせるということ事体は悪いことではないし、ソニーとしても大歓迎だろう。そこに情操教育という要素を持ち込むことがおかしいのだが、これを短いコメントで誤解されないように言うのは難しい。こういうふうに背景を考えると「機械は生き物の代わりになりません」とズバっと言うことは、なかなか勇気がいることだ。

さすがソニー、広報部ひとつとってもどこかとは大違い。