情報フィルタリング能力

「情報フィルタリング能力」というキーワードを思いついた。検索エンジンを利用する時も、掲示板やメーリングリストの議論を追っかける時も、たくさんのゴミの中で光るものをみつけなくてはいけない。タイトル、ハンドル、最初の2〜3行だけで、その情報の価値を瞬間的に判断する能力。正確な判断は必要ない。間違って拾ってしまったら、残りを読んでから捨てればよい。間違って捨ててしまっても、ネットの上には、一つしかない情報は稀だ。重要な情報なら、他の所にも書いてある。こういう能力を多くの人が無意識のうちに身につけているのではないか。

ネット以外ではこういう能力は使い道がないし、害になることもある。情報が整理、統合化されていたら、あることは一個所にしか書いてない。読み飛ばしたら、それで一生その情報とはお目にかかれない。

例えば、きのうオメガウェポンの倒し方をネットで検索した。それは「アルティマニア」という究極解説本のP302に書いてある。この分厚い本の中で、たった一個所だけ書いてある情報だ。これを読み飛ばしたら他の場所には書いてない。しかし、ネットにはいくつも同じことが書いてある。どれも少しずつ違っているが、大筋は同じだ。かなり適当に見ていっても、ひとつくらいは探すことができる。

こういうセンスがある人とそうでない人では、同じホームページ、同じメーリングリスト、同じ掲示板を見ても、随分印象が違うだろう。ネットにあるよい情報は、大抵多くのゴミにまみれている。ある人は「ゴミだらけだ」と言い、別の人は「宝物がいっぱい」と言う。こういう印象の違いが総体となって、インターネットというものの正体をつかみにくくしているのだろう。

私は、これが将来大きな社会問題になるような気がする。世界がネットが好きでネットを使う人間と、逆の人間に分裂する。両者は、知的能力や思考方法や性格が違うのではない。「情報フィルタリング能力」のある者とない者にわかれてしまう。そして、同じ物を見ても全く違うことを言うから永遠に議論がかみ合わなくなるのだ。おそらく、この分裂はネットに接続できる者とそうでない者の対立として現れるだろう。だが、ネットが技術的にも経済的にも普遍的に誰でも使えるようになってもその対立は解決されない。その時に、はじめて問題の根深さがわかるのだ。