遠い親戚の通夜

遠い親戚(従姉妹のダンナの母親)が亡くなってお通夜に行ってきた。従姉妹と言ってもかなり年の離れた人で、学生の時に下宿させてもらっていたこともある。世話にはなってるけど縁が遠すぎるので、行くべきかどうか迷ったけど、連絡が来たのでとりあえず行ってみた。こういう時に、親がどちらかでも生きていたら相談できたのにと思うのだが、実は私の父親は恐ろしく非常識な所があって、それがいつどこに現れるかわからない人なので、生きていたとしても頼りにならない。

そして、そのお通夜の席で叔父さんからその親父の非常識ぶりをまたひとつ聞かされた。この叔父さんは父が亡くなってから会うたびに「おまえも兄貴のことでは苦労しただろうな」と言ってくれる。「おれもあの人は不気味だった。何するかわからないから恐かった」というのだ。父親の非常識は主として金銭がらみだが、他人から見ると単に商売がヘタだけどよく働く人がいい人だと思う。ただ、私とこの叔父さんだけに見せた一面がある。商売がヘタというなまやさしいものでなく、破滅に向かって突き進むような所があったのだ。ひとつの事業(と言ってもただの飲食店だけど)が安定してくると、別のもっと危険な事業に手を出して、トラブルを巻き起こす。これを何回繰り返したかわからない。

これまでこの破滅への衝動みたいなものが始まったのは、私が10代、親父が40代の頃だと思っていたのだが、今日聞いた話によると、実は20代の頃私が生まれる前に始めた最初の店がすでにおかしかったらしい。収入に関係なく経費をかけ、最後に従業員に給料を払えなくなってしまったのだが、それでも本人はスキーに行ってしまったことがあったそうだ。昭和30年代のことだ。スキーと言っても今の感覚とはちょっと違うだろう。こういう好き勝手をして、本人だけでも気楽に楽しく生きたならまだいい。「僕は本当にノンキで商売がへただねえ」口癖のように言っていたけど、そんなお気楽なものでないことを叔父さんと私(とたぶん私の母)は知っている。

「俺はあの人がいつかこれをするような気がして恐かった」と叔父が首に手を当てながら言う。「それは自分を?それとも他人を?」当然のように私が聞く。「自分を」と叔父は答えた。

でも実はこういう父の危ない面は自分にも遺伝していて、それがいつ爆発するか恐い。幸いなことに今の所は、そういう狂気はプログラミングという仕事やこういう雑文書きに押し込められている。このホームページが混沌としているのもそういうわけです。