ローマ共和制・オープンソース・砒素カレー裁判

複雑なシステムを運営するためには、どうしても専門家の集団にフルタイムで働いてもらうことが必要になる。政治行政でもソフト開発でもそうである。しかし、専門家を集めるとたいていの場合、いろいろ弊害もある。いろいろ知識や経験があるだけに、発想が硬直化しがちである。既得権も発生するし、素人が知らないのをいいことに騙したりすることもある。

古代ローマ共和制ローマ)では*元老院という議会のようなものがまさにこれである。議会と言っても、選挙で選ぶわけではなく基本的には特定の家系で独占していた貴族だけが参加できるものである。しかし、ローマの貴族は非常に志が高い人が多かったらしく、自分たちの階層に不利なことでもローマという国家全体のために必要なことならば、ちゃんと実行している。貴族と言うのは、権利でなく責任を持つ者だという社会通念が徹底したようだ。

また、こういう階層が一旦できると、内輪だけで固まりヨソ者を排除しがちであるがローマの元老院というのは、随分、風通しがよかった。戦争に勝って新たな領土を得た場合、その地域、民族の支配層をローマに連れてきて元老院議員にしてしまう。また、平民の中から選挙で選ばれる護民官という役職があって、これのOBも元老院議員の資格を得るようになっている。吸収合併した会社の役員を親会社の役員にしたり、労働組合の幹部を役員にしたりするようなものだ。こういう開放的で外部の血を入れるところが、先行するギリシャと違う所で、ギリシャ都市国家で終わりローマが地中海全体を何世紀も安定して支配する大国家に発展したのは、この違いが大きかったようだ。

しかし、いくら人格的に尊敬できる人が多いといっても、それだけに頼っていたら長続きはしない。ちゃんと、これを補う機構がシステムとして用意されていたのである。

まず、専門家の合議の欠点として、決断に時間がかかり先例とかけ離れた突飛な発想を受け入れることができない。平時の政治ならそれでもなんとかなるが、これでは戦争ができない。戦争ではスピードと統率が必要である。これは、集団指導ではできない。そこで、ローマでは執政官という制度があった。元老院議員の主席を執政官という役職につけ、大きな権限を与える。そして、戦争があった時はこの執政官が軍団の最高責任者になる。執政官の任期中は、軍隊の移動や開戦、終戦の判断、講和の交渉など全てがトップの独断に任せられる。ただ、これが独裁や権力の濫用につながらないように、ブレーキもある。執政官は任期が1年であり、連続して担当することは許されない。また、戦争の講和条件など重要なことは、元老院などの決議があってはじめて有効になるとされていた。このように、一人の人間に大きな権限を与え、仕事がスムーズにはかどるように工夫した上で、ちゃんと暴走を監視しブレーキをかける仕組みを用意していたわけだ。

もうひとつの欠点として、特定の階層のみが全ての権力を握っていることに、反感や妬みが生じる。これを補うためには、平民集会と護民官という制度がある。平民集会とはローマの市民が全員集まって、討議したり決議したりするもので、執政官の選出など重要な事項は元老院単独では決定せず、平民集会にかけることになっていた。護民官とは、平民の代表として元老院の干渉なしに平民集会だけで選出する役職で、平民の利益や権限を守るのが仕事である。こういう役職が存在することだけでも驚きだが、巧妙なのは護民官のOBは元老院議員として貴族の仲間入りすることだ。これにより、護民官が過激な政策を掲げることも防げるし、平民の側でも元老院にわずかでも自分たちの代表がいることで、多少なりともガス抜きになる。

ローマの前に繁栄し、ある意味ではローマの手本となったギリシャ都市国家は、もっと徹底した民主主義で、直接民主制で国を運営していた。しかし、貴族と平民がケンカしたり、非現実的だがカッコイイことを言う人に躍らされたりして(衆愚政治)すぐつぶれてしまった。それを反面教師にしたのか、ローマ人がもともとこういう絶妙のバランス感覚を持っていたのかわかららないが、この「元老院」という専門家の集団を「執政官」という期限つきの独裁者と、「平民集会」という直接民主制でサポートするシステムは非常にうまく機能していたことは間違いない。

最近、私の雑文は何でも*オープンソース*につなげるので、この続きも予想できるかもしれないが(だいたいタイトルに書いてあるし)古代ローマの話もオープンソースにつながるのである。

しかし、これは他の雑文のように趣向でちょっとヒネリを入れるためにやっているのではなく、当たり前のようにつながる。だって、全く同じではないか。

基本設計(システムの一番根本となる構造)を決めるのは一人がごく少数のリーダ、それをサポートし実際のプログラムを組むのは専門家の集団、そして、システムの岐路となるような重要な決断は、開発者側だけなくユーザ全員の合意で決まる。まさにオープンソースの開発は、「元老院」「執政官」「平民集会」と同じシステムで行われている。

古代ローマの共和制は、ローマが大帝国となり統治する地域が広がると機能しなくなった。元老院にせよ平民集会にせよ、ローマ以外の地域の住民は形式的には同等の権利を持っていても、ローマまで何日もかかる地域にすんでいるので、参加できるものは限られる。自然、全体の中で首都のローマの意見のバランスが大きくなりすぎてしまった。そのため、帝政といって一人の皇帝がすべてを支配する政体になるのだが、皇帝と官僚という機能的なシステムにしないと、地理的、物理的に情報が集まらないので機能しなかったということだろう。重要なのはシステムの限界でなく、当時の技術的な限界だということだ。

この地理的な限界、技術的な限界は、現代ならばインターネットという技術で補える。この技術によって、ローマの共和制は現代によみがえったのである。

OSの開発というのは、大国家の運営に劣らず複雑な作業である。また、単に技術的な作業でなく、政治的な要素も数多く含んでいる。LINUXという立派なOSが開発できるということは、この「インターネットによるローマ共和制」が何にでも応用できる可能性を持った素晴らしいシステムであるということだ。

例えば、砒素カレー事件やサリン事件のような重大な事件の裁判をこのシステムにまかせるのはどうだろうか。検察と弁護士が争点を決め、それを法律だけでなく科学捜査や社会学などの関連する専門家が議論する。こういう過程をインターネット上でオープンに進めるのである。さすがに裁判だから、判決を多数決や投票で決めるのはまずいと思うが、オープンに議論することで一般の人にも納得が得られやすいし、無駄な長期化は防げるのではないかと思う。

重要なのは、インターネット上で行うことで、いろいろな分野の専門家がパートタイム、アルバイト的に参加できることで、膨大な証拠をもれなくきちんと検証するという、裁判に絶対必要な手続きを手抜きすることなくスピーディーに進められることだ。

現実的には、プライバシーという大問題があるが、この問題だけ脇にのけて思考実験してみると、いろいろな課題が一気に解決できるような気がする。