小沢一郎・UFO・土地神話

小沢一郎という人はどうも発言を曲解されることが多いような気がします。先日、彼の発言を生で聞いて翌日新聞を見たら、全然言っていることと違う報道になっていました。問題になっているのは、自民党自由党が連立するにあたり行っている政策協議です。いろいろな問題があるのですが、防衛問題が一番対立が深いので、司会の田原総一郎がそこを詳しく聞いていました。その時は私が耳にしたのは次のような小沢一郎の発言です。

「私が本当に問題にしているのは、自分の政策がどれだけ受け入れられるかではありません。原理原則を明らかにすることです。自民党が私の政策を受け入れないなら、その代わりの原理原則を明らかにしてほしいのです。自民党が今進めようとしていることは、憲法解釈の変更です。だから、どこをどのように変更して、何を原則としてこのような政策を進めるのかはっきりさせる必要があると思う。今のように『原則(解釈)は変更していない』と言いながら明らかにそれと違う行動をとるのはおかしいし危険だ、原則がなければなし崩し的にどんどん深入りしてしまうかもしれない」

つまり、小沢一郎は「原則を明確にしろ」と言っているわけです。田原総一郎もそれを受けて、「自民党はこの問題をごまかそうとしてる、そして、小沢さんはハッキリさせようとしている。これについては、私も小沢さんに賛成です」と言っていました。

ところが、翌日の新聞やテレビでは、彼の発言で一番重要なこの部分がほとんど報道されていませんでした。「小沢がPKF問題で強硬な主張をしてごねている」ということだけで、「代わりの政策の原理原則が示されれば、それが私のものと100%一致する必要はない」と言った部分がほとんど出てないのです。

もちろん、政治家の発言ですから、どこまでが真意なのかは慎重に考える必要があります。また、モメルことでポストやらなんやらの交渉を有利に進めようという意図があるのは私にもわかります。しかし、まず、発言そのものを要約した上で「・・・という発言だが、その真意はXXXである」とやるべきで、あそこまで曲解するのは、「真実を伝える」という報道(ジャーナリズム)の原則に反しているのではないかと思います。

私もプログラマですが、昔から、プログラマという人種はコミュニケーションが取りづらいと言われてきました。専門用語が多すぎて、宇宙人と話しているみたいだ、と。それは認めます。しかし、政治家に比べればましだと思うのです。

小沢一郎がよく誤解されるのは、彼が政治家の業界用語を話さないからではないでしょうか。私から見ると、彼の発言はいつも明快で非常にわかりやすい。業界特有のロジック、用語、レトリックが一切なくて普通の日本語として聞いて何が言いたいのかよくわかります。おそらく、政治記者という人種は、こういう業界特有のものの言い方を翻訳することが仕事というか存在価値ですから、小沢のシンプルな発言を無理矢理、業界用語→一般用語の翻訳機にかけてしまって、話をねじ曲げるのではないでしょうか?

年末年始にオカルト・UFOがらみのテレビがたくさんありました。最近は少なくなりましたが、この手の番組の決まり文句で「この科学万能の時代にはたしてこんな事がありえるだろうか?」というのがあります。この言葉は使われなくなりましたが、この精神は今も生きていると思います。

科学的方法論の持つ基本的な仮定として、科学法則はどこでもいつでも普遍的になりたつ、というものがあります。今日は、G=mc2だけど明日はG=mc3だとか、アフガニスタンの山岳部へ行くと水はH3Oであるとかいう世の中だったら、科学の方法論が成り立ちません。どんな実験も繰り返し行って確認し、さらに他の人が同じ実験を再現できて初めて認められます。そういうかたちで確立された実験結果で今度は理論が検証されます。

こういう繰り返しを重視するのは、当然ですが、法則は一定だからという仮定があるからです。

幽霊だってUFOだって、存在するならば「この科学万能の時代」だろうが存在するし、存在しないならば江戸時代だろうが原始時代だろうが、存在しません。だから「この科学万能の時代」という言い方にはすごく違和感があるのです。

最近、この手の番組では、肯定派と否定派が「それは非科学的だ」「科学では解決できないことがある」というディスカッションをすることもよくありますが、「この科学万能の時代」と同じ精神がそういう問答にも表れていると思います。

まず「非科学的」という方は、「それは科学の方法論にしたがっていない(再現可能な実験やモデルを提示するしろ)」といいたいのか「それは現在の科学的な常識(結論)に反しているのか」ということを明確にすべきです。相手は、例えば「スプーン曲げという現象を確認した」という(不完全ではあるが)ひとつの実験結果を主張しているのですから、それが現在の理論と整合性がないという理由で、実験結果を否定するのは、「非科学的」です。つまり、理論が間違っているか実験が間違っているかです。そして、それは追試で確認すべきことで、今までの理論がどれだけ良く出来ていても、それは状況証拠にはなるけどそれだけで実験結果を否定することはできません。

「科学では解決できないことがある」と主張するほうも、現在の科学の理論を否定するのか、再現可能で数学的モデルになる現象しか扱わないという科学の方法論を指定しているのかを明確にして議論してほしい。(と言っても一般的にオカルト肯定派は科学の専門家じゃないからしようがないかもしれませんが)

どちらの議論を聞いていて強く感じるのは、「科学」というのは「科学的な方法論」からかけ離れた一種のイデオロギーになっていることです。

バブルが盛りの85年頃、ある人とこんな話をしました。

 「あなたも、そろそろ家を買ったほうがいいですよ」
「いや、とても貯金がないし」
「いや、土地というものは必ず値上がりします。
親から借金してでも、今買っておけば、すぐ返せますよ」
「そうですね。
でも値上がりするものはいつか必ず下がるんじゃないですか」

その時の、相手の嫌な顔を忘れることができません。

その人は、取引先のエライ人で銀行からその会社で出向してきた人です。でも、銀行員の枠にははまらない、おおらかなタイプで、私はいろいろお世話になりました。何度か失敗して迷惑をかけたこともあるのですが、こちらが一生懸命やれば誠意を持って対応してくれるので、すごく感謝していました。要するに人間的にはすごく気持ちがいい人で、仕事の話でも雑談でも話していて楽しい方でした。

私はその会社をトータルで5年くらい担当していて、何度も客先で常駐して作業したことがあります。その長い間、一度も嫌な想い出がありません。だから、この会話をした時の相手の嫌そうな顔がよけい印象に残っています。後にも先にもその人のそんな表情を見たのは、この時だけでした。

当時は、バブル崩壊前で、土地神話がピークに達していた頃です。だから「土地は値上がりするもの」というのは常識です。でも、私が常識に反したことを言ったからって、何であんな変な顔をするのだろう、ただ「あなたはエンジニアだから(若いから)経済がわからないだろうが、日本で一番確実で有利な資産は土地なんですよ」と、教えてやればいいだけではないか?その後、ずいぶん長い間このことが謎でした。

そして、ある時「土地神話」という言葉に鍵があることに気がつきました。これは「神話」なのです。疑ってはいけない神聖なものなのです。自分の信仰する一番大事な神様にケチをつけられたようなものなのです。あの時の嫌な顔というのは、まさにそういう表情でした。あれだけの人格者だから、数秒の沈黙の後、何事もなかったかのように話が続きましたが、あれは、相手を人間とは認めないような差別の目だったような気がします。

小沢一郎」「科学」「土地神話」、メディアの中に思いこみというかラベル貼りというか、何か巨大な先入観があるのを感じます。恐ろしいのは、そういう先入観を持つことより、それに無意識であることです。言ってる本人は客観的な知識だと思っていることの中に、もの凄い思いこみが含まれているのです。そして、「それはあなたの信念ですね」と言っても認めないで「それは客観的な事実だ」と主張するのです。そこにあくまで反対すると、最終的には何らかの感情的な反応を招くことになります。

こういうのってマインドコントロールと言わないのかなあ、と私は考えています。ここには、そういう観点からの政治、経済、社会問題についての雑文を追加していく予定です。