あたりまえに継続する狂気

オープンな基盤の上に創られるシステムとは:Goodpicから


梅田さんが書かれている、「次の10年はどういう時代か(4)」で、ITベンチャー企業群の「狂気の継続」という表現は、実はすごくフィットする言葉なのかもしれません。
他人に「あいつは、おかしい」と言われていても、当人はごくあたりまえのことをやっている、と思っているのが狂気の正体だったりも

私も「狂気の継続」という言葉はいい表現だと思います。

これは、梅田さん


ただこの「情報のオープンネス」ということにまつわる狂気は、これまでのこうした企業群が示した「世界を変えてやる、それとともに会社を大きくしてやる」というような比較的わかりやすい狂気とは違ったタイプの狂気を必要とするのではないか、という気がするのだ。

の「違ったタイプの狂気」を受けての感想だと思いますが、「あたりまえ」+「狂気」を継続できることが重要だと思います。

ネットによって、物事の価値というのは、私たちが気がつくことができないほどのスピードで変化していると思います。Googleの検索結果の1ページ目に出てくる情報は、全て、誰もが自由にアクセスできるコモディティになっています。そこにある情報は、10年前にはとても価値があるものでしたが、今は全く価値の無いものです。

どんな単語を入れても、Googleの検索結果の1ページ目には絶対出てこない情報が重要で、それがどんなものであるかと言えば、ひとつは「狂気」のように、自分の中にあって自分の中から湧き出て来るものでしょう。もうひとつは、「継続」、つまり時間軸の中にあるもので、ある時点でWEBを1ページ見ただけではとらえられないものでしょう。

Googleのある世界では、「あたりまえに継続する狂気」こそが価値の源泉だと思います。

凄Ajax2点

見て口があんぐり、「アジャー」っくす。(←単なるオヤジギャグ。普通はエイジャックスと読むみたいです)

前者はASIPの徒然なるままにから。

後者は、[ぴ]経由、fladdict.net blog: 世界最強のajaxアプリ TRIGLAVから。

しかし、こういうのが流行りすぎて、情報とURLがつながらない世界になったらやだな。上のBackbaseのサイトみたいに、「ココ見て」のココをURLで示せない(示すことが難しい)サイトは、情報共有を阻害する。

RESTに幸あれ!

Leaving Home: 世間は狭いなあ、という体験

ある読者の方が、街中で当サイト発と思える話題を耳にしたというお話。

その話題とはこちらの記事の話なんだけど、「女性の1/4が自分のルックスに劣等感」というのは、私がリンクした東京kittyさんにもその元記事にもありますが、それをよしもとばなな出演時のトップランナーとからめて論じたのは、確かに私だと思います。

ちょっと不思議な偶然で驚きですね。

ちなみに私は、リアルで「圏外からのひとこと」の読者に遭遇したことはありません。私が知人に自分のブログを教えたり読ませたりことはもちろんあるし、読んでいる人からメールをもらって会いに行ったりしたことはあるけど、他のことで知りあった人、出会った人が、たまたまここを読んでいた、という体験はないなあ。もちろん、街中で偶然そんな話を聞くなんてもっとあり得ない。

こういう一種の「引き」の強さみたいなものは、才能(に限りなく近いもの)だと思います。ちょっとうらやましいような感じです。もちろん、これ自体は「ああ面白かった」以上の意味はないのですが、こういうことって、人生のいろいろな場面に影響するのではないかと。

私の方は、そういう運をこのブログで消尽しているのではないかとも思うので、それくらい面白い出会いをたくさん体験させてもらっているので、それはそれで仕方ないというかある意味当然のことだは思いますが。