何がブクマを増やすのか今だによくわからない、でも...
チャーリー・パーカーの話と動画がすばらしく、ドーパミンが出すぎて、後半が読めない。
自分としては、チャーリー・パーカーの話が書きたくて書いたエントリなので、後半は読まなくてもいいです。
「世の中は厳しい」なんて大嘘が、今現在、ブックマーク数351で、異論反論も含め多くの反応をいただいています。他のエントリもつられるように大量のブックマークやトラックバックをいただいていて、ありがたい限りですが、自分としては、一連のエントリで一番よく書けているのは、匂いチューブというエントリだと思っています。
私は、自分の書く記事がどれくらい反響を呼ぶかはほとんど見当がつかないし、だから予想することもほとんどないのですが、この「匂いチューブ」だけは別でした。書きあげてアップする時に、「よっしゃ、これはいいぞ。100ブクマは行くな。ひょっとしたら200超えるかも」と考えていました。それが今現在、3ブクマです。
もちろん、どんな記事でも、読んでいただけるのはありがたいことです。だから、それが不満ということではないのですが、自分的には、もしブクマ数を自分で配分できるとしたら、「世の中は厳しいなんて大嘘」にいただいたブクマ数を、半分くらいは「匂いチューブ」に分配したい気がします。
ここから教訓を得て、チャーリー・パーカーの話は後半のおまけをつけてアップしましたが、本当に読んでほしかったのはそっちの方です。だから、id:qinmuさんのコメントはけっこう嬉しいです。
あと、狐の王国 「本当の大変革」がみんなに見えるようになるのはいつ頃だろうかが、ちゃんと屁の話に言及してくれたのも嬉しかった。
屁の話とチャーリーパーカーの話を抜いたら、私のエントリなんて、全部コピペみたいなものです。
内容的にはだいたいは、このあたりの本に書いてあることです。どれもベストセラーで、言及している人もいっぱいいます。だから、何がブクマを呼び議論を呼ぶのか、今ひとつよくわからないという感じです。
でも、ひとつだけ気がついたというか、ぼんやりと「これかな」と思ったことがあります。
フラット化する世界の書評を書いた時に指摘していたことですが、私は、" The world is flat " という現在形のタイトルが「(これから)フラット化する世界」と未来に起こることのように翻訳されていることに違和感を持ちました。
書評エントリでは批判的に書いたのですが、最近思っていることは、この手の本の日本での受容のされ方としては、これが王道なのかな、ということです。つまり、現在形で語っている本を未来形として読むこと、実は身近で起こっていることを、遠く離れた別の世界の物語として読むこと。
その距離は重要ではなくて、すごく近くてもいいんだけど、とにかく一歩だけでもいいから自分の回りから離れた地点で起きていることとして読むこと。
出版社や翻訳者の方は、長い経験からそれが日本における受容のされ方であると知っていて、そこになじむようなタイトルとして「フラット化する世界」にしたんだなあと思うようになりました。
私が書くものは、そのへんの機微をわからずに、愚直に現在形としての " The world is flat " を書いてしまうので、議論を呼び起こすのかなあという感じです。