梅田望夫と「Web進化論」の間にある軋轢

自分に都合が悪いものを見るための枠が言説の信頼感につながるで梅田さんと村上春樹の共通点について書いた。その続きというか蛇足。

二人の共通点を別の言葉で言えば、「異質なものと向かいあうことが仕事の中の重要な要素を占めている」ということ。


梅田望夫という名前を「Web進化論」で知った人が多いから無理もないことだけど、梅田さんという人が「Web進化論」にたどりつくべくして当然のようにたどりついたように見る人が多い。あるいは、「はてな」の経営陣に加わったことを当然の選択と見なす人が多いように思える。

そうではなくて、「Web進化論」は梅田さんの人生が脱線して生まれた本であり、「はてな」は梅田さんが理解できないものの象徴である。梅田望夫と「Web進化論」の間には相当な軋轢がある。

下にあげたエントリ等から、その事情の一端を窺い知ることができる。

たまたま今日雑記帳 - I seem to be a verb経由で知った、バックミンスター・フラーの言葉

I live on Earth at present, and I don't know what I am. I know that I am not a category. I am not a thing ― a noun. I seem to be a verb, an evolutionary process ― an integral function of the universe.

私は現在、この地球の上で生きている。そして私は自分が何であるか知らない。自分が「カテゴリ」でないことはわかる。私はモノ、名詞ではない。どうも私は動詞であるようだ。私は進化し続けるプロセス、宇宙の中の微分可能な(連続的な)関数であるみたいだ。(試訳 by essa)

このバックミンスター・フラーの言葉の言葉を借りれば、「Web進化論」という名詞の背後に梅田望夫という動詞を読みとるべきである。著者が、動詞を名詞として記述するコンサルティングという仕事のプロだから、これは難しいことではある。というか、そういう意味では不親切な本なのかもしれない。しかし、この本はそういう背景を知って、そう読んだ方が面白い。

ちなみに村上春樹も、常に自分と最も異質なものと向かい合いながら創作を続けてきた人だと思う。