佐々木氏のググル本に自助努力系の人が登場する理由

グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する 文春新書 (501)
グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する 文春新書 (501)

「WEB進化論」がターミナル駅だとしたら、こちらは快速電車である。


「WEB進化論」は、今までと違う路線に乗り換えていく為の乗り換え駅であり、そこで多様な人がすれ違う。しかし、その本がどこかへ連れて行ってくれるわけではない。「グーグル」は対照的に、読者を終着点に間違いなく運んでくれる。しかも、停車駅は最小限で最速で目的地に到着する。多様な読みを許す自由度や発展性は無いが、おじさん向けの訴求力はこちらの方が上だろう。

出発点は、「B&B羽田空港近隣パーキングサービス」という個人経営の駐車場と、「三和メッキ工場」という小さな地場工場という二つの事例である。ここから、「サーチエコノミー」と「ロングテール」というバーチャルなキーワードが実にリアルに語られ、そのまま一気にインフラ権力としてのグーグルの脅威という所まで突き進む。

ネットの中に説得力のある分析や考察はいくらでもあるが、この本は、きちんとした取材に基いて、現在から無理なく世界や未来の話までつながっている。佐々木氏は毎日新聞の記者出身だそうだが、これだけの構想力、取材力、分析力がある記者ばかりであれば、新聞社は全くネットを恐れる必要なんてないだろう(そうでないから問題なんだろうけど)。

それで、これだけの分量を新書に押し込めば、車窓の風景を楽しむ余裕はほとんどないのだけど、本筋に直接関係無い所が二箇所だけあると私は思った。それは、二つの事例の人物描写だ。どちらもピンチに陥いった所で、グーグルの力によって蘇えったという話なのだが、そこにまつわる人物描写がある。

照美さんは、「旅行代理店のおこぼれをもらうんじゃなくて、自分でキーワード広告を使って一生懸命顧客を開拓するようになって、考え方がすごく変わった」と言う。「最初はお客さんの送迎も人任せにしていたんだけど、コミュニケーションを大事にしなければだめだということが分かってきました。だから、二回目のお客さんにはきちんと『前にも来ていただきましたね』と声をかけ、子供には飴をあげたり、冗談を言って笑わせたりと、お客さんとのつながり作りに精を出している。北海道に行く人には『北海道は寒いよ』と声をかけ、そんな風にやっているうちに、お客さんさんから旅行先のお土産までもらうようになった。やっぱりせっかく旅行や出張に行かれるんだから、和やかな気持ちで旅立ってほしいじゃない」(p124)

(自社の仕事をパソコンでシステム化しようとする)この仕事は、父親や周囲の職人たちにはさっぱり評価されなかった。業務時間中にパソコンに向かっていると、「おまえはカネも生み出さないでパソコンで遊んでる」と言われてしまう。そこで仕方なく、夜なべ仕事でこつこつとパソコンのデータベースプログラムを組んでいると、とうとう父親から呼ばれて真顔でこう説教された。「おまえ、ほかの客になって言われとるか知っとるか?『三和の息子はパソコンばっかりしてバカ息子だ』と。」

駐車場経営者夫婦は「旅行代理店のおこぼれ」の世話になるかを悩み、「三和のバカ息子」は父親や古株の職人さんたちの言うように大企業の下請けに甘んずるかを悩む。人間味ある記述が繰り返し結構なボリュームであちこちに出て来る。

もちろん、これがネットという掴みにくい対象に味わいを加えて読者を引きずりこむテクニックではあると思うが、果たして全体の論旨の中でこの記述が必要だったのかどうか。

グーグルが経済の構造を変革するという話に絞るならば、それによって自立の手段を得た人たちの性格描写は必要ない。全体的に無駄がなく絞りこまれた本だけに、ここが妙に気になるのだ。

しかし、実はここに著者の重要な主張が含まれているようにも思える。

グーグルが代表する新しい経済の構造転換は、自助努力系の人間には優しく「寄らば大樹」系の人間には厳しい。それを描写するには、「寄らば大樹」に安住しないことで余計な苦労をしょいこむ、この人たちの苦労をきちんと書くことが、この本には必要だったのだ。

最後の章のグーグル権力論はそれを踏まえて読むことで、より一層、その問題の根深さがわかるのかもしれない。