独自の治療理論の危険性は治療者の側の免責が無いこと

この事件で一番問題なのは、この手の支援施設が、誰にどういう責任を負っているか明確にしてないことだと思う。

その手法がオーソライズされたもので無いことは認めてもいいような気がする。しかし、既存のシステムを否定して、独自の治療理論、支援体制をかかげるなら、倫理的なガイドラインや責任の限界等を独自に明示すべきである。

精神科医やカウンセラーは、無限責任を負うわけではなくて、一定の枠内では自分の判断や行為が失敗に終わっても批判されない。それは、クライアントを守ると同時に治療者を守るものでもある。

独自の治療理論の問題点は、結果が予測できないことではなくて、失敗に終わった時の治療者、支援者の側の免責がはっきりしないことである。だから、どういうケースでも失敗が許されないので、無理をすることになる。たとえば、精神科医であれば、暴れた時に警察にまかせてよい条件というのがあって、それを満たして一定の説明責任を果たせば「このケースは手に負えなかった」と言った時に同業者の支援が得られるのだと思う。もちろん、現実的には、そんな簡単に放り出すことはできないのかもしれないが、倫理的に責任が限定されて定義されていることは重要だ。

逆に言えば、セールストークでなく「どんなケースでも対応する」とか言っちゃう所、マジで責任範囲の限定をしない所は無条件で危険とみなした方がいいということか。

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